
この豊かな川をどう形容したらいいのだろう。たしかに美しい。でもただ美しいのではなく、人間と一緒に存在しながら、なおかつ美しいのである。人間の狼藉にも、しっかり持ちこたえているその寛容力。それのみならず、アユやエビやウナギといった幸までももたらしてくれるその生命力。母なる川である。この流れだけは失ってはいけない。十年のちも、二十年のちも、この川がこの川のままであるように願いたい。もしそれが叶わなかったならば、もうこの国に川と呼べる川はなくなっていることだろう。人は川の浄化力の限度内で生活できるのかも知れない、なんて幻想までも抱いてしまった川。四万十川。

DATE | 天候 | 区間 |
1996/9/17 | 曇のち晴 | 江川崎-口屋内 |
1996/9/18 | 晴 | 口屋内-川登 |
1996/9/19 | 雨のち晴 | 川登-中村 |
水質 | ★★★+ | 上流、中流、下流と、ずっと美しい。脱帽。 |
水量 | ★★★- | ちょっと少なめ。でもだからこそ澄んでいたらしい。 |

9月17日、江川崎に向かう。8:13中村発、9:14窪川着。売店で買ったジャムパンをむさぼり食う。これはこれで旨いのだが、「より道」という中村市内の店で、アユとテナガエビとゴリとアオサを食べたのは昨日の話。ずいぶんなギャップである。
★★ここでワンポイント情報★★
なんでもこの店、故開高健氏が立ち寄った店らしく、店先に氏の色紙が飾ってある。氏が味は保証しますと書いているから、保証してもらいに入っ た。お目当ては天然ウナギだったのだが、最近はあまり入ってこないらしい。この日もネタぎれ。なんでも、天然物は東京や大阪の高級料亭に行ってしまうらし い。その方がいい値がつくかららしいが、まったくもって名物までが市場原理によって崩壊寸前というこの国の現状なのである。(おーい、東京で四万十のウナギを食ってる官官接待野郎に、クソ政治家野郎!お前ら、はよ糖尿でも痛風にでもなって死にやがれ。)かわりに食べたのが、四万十定食5000円なり。四万十の幸をちょっとずつ味わうことができるメニューなのである。他の店に行ってないので比較 はできないが、地元の人も来ているところをみると良心的な店であるようだ。アユはホントに草の香りがしたぞ。中村駅から北へ約800メートル。ガソリンス タンドのある大橋通の交差点を越えて、ひとつめの筋を左(西に)入ったところ。「より道」。
くろしお鉄道からJRに乗り換えて(バックパッカーには辛い、高架階段によるホーム移動。分けて荷物を運んだりしたら10分はかかる。ぎりぎりの乗り継ぎ連絡はしないように!)窪川10:01発、江川崎に着いたのは10:51。 意外に遠かったのは、江川崎から河原まで。1キロ半はある。つらい。ひとりで、ファルトを背負い、キャンプ道具をコロコロ・キャリアで運ぶには、かなりこたえる距離である。河原に辿り着いたときには、精魂使い果たした感じだった。

減水時には、岩が出るのでファルトにはキツイらしいが、この時は行けたような気がする。でも、さすがに半家より上流はムリ。
こんなことなら江川崎の一つ手前の半家なら、駅の前がすぐ川だし、そこから下ればよかったと思う。ただし、半家の辺りは岩がかなり露出していて、ファルトにはちょっと不安な部分もある。(列車の窓から見た限りでは大丈夫なように思えたが、水が少ないときにはいかがなものか。ポリ艇はもちろん平気。この日も気持ちよさそうに下っていた。)
★★ここでワンポイント情報★★
江川崎の河原には、旧道沿いの酒屋さんの角を折れた辺りから降りられる。(酒屋を通り越してもう50メートルも歩くとスーパーマーケットがある。これで ビールとアテが一網打尽というわけ。さらに…)そして、なんと、その降り口には、ジュースの自販機とともに氷の自販機(一袋百円)まで置いてある。ちょっ とレジャー客に過保護ではないかと思いながらも、しっかり2袋分買い込んでしまった自分が悲しい。
カヌー館を対岸に眺めながら、ボートを組み立てる。水、もちろん綺麗だ。は たして12:30出艇。口屋内を目指す。で、早速西土佐大橋の下が瀬なのである。が、浅い。また腹をすったのである。さらに、ふっと近くを隠れ岩が通って いく。意外に岩が多いぞ。これは。と注意はしていたんだけれど。やってしまいました。ゴリゴリゴリッ。(四万十名物ゴリの佃煮に負けないほど立派なゴリゴ リッでした。)藤の川合流後、橘の辺り。鮎釣り師を避けようと左岸に近づくと、岩だらけ。続けてやってきた瀬の出口に岩、それを避けたところにとっても静 かな隠れ岩。私はこれで穴をあけました。


江川崎から口屋内間は、流れがそれほど速くない。今回三日かけて下ったなかでは、いちばん瀞場が多かった。また、瀬自体も難しくはない。ただ浅いだけである。場合によってはライニングダウンが必要。この区間はかなり時間がかかる。柿の上を過ぎた瀞場で、テナガエビ漁の小舟と出会う。ペットボトルを浮きがわりにした仕掛けを引き上げていく。筒の中にはテナガエビが入っているという。でも今年は不漁。例年の三分の一も捕れないと嘆いていた。
口屋内を目の前にして、大トロ。さらに向かい風。そろそろ5:30。暗くなりかかっている。必死になって漕ぐはめになった。しかして、「ああ、学校が見えてきた。」きょうのキャンプ地である。小さな瀬を過ぎると沈下橋の前の瀞場に入った。右岸に上陸。

★★ここでワンポイント情報★★
口屋内は、キャンプ地にするには、もってこいなのである。沈下橋の手前右岸に設営。そして後に買い出し。橋を渡って、左岸の坂を上ったところに商店がある。もちろん酒あり。人情味のあるおかみさんで、水もわけてもらえた。(ここ以外でも水は調達できる。ふたたび右岸に戻り、突き当たり左にも水道とトイレ がある。その近くにはゴミ捨て場もある。)そこのおかみさん曰く、ここのところ川の水はちょっと少なめ、でもこれくらいの水量のときが川は澄んでいてキレ イ。とのこと。

9月18日朝、快晴。すぐにも漕ぎ出したいのだが、昨日の座礁の後始末がまだ。補修の時間。そんな孤独なツーリストの横で、おりしも同じ河原でキャ ンプしていた京都外大の女学生達が水着になってキャッキャッ言いながら川を泳いでいる。おいおい気が散るではないか。という理由でなかなか手が進まないの であった。で結局11:30、口屋内から離岸。かと思うと、さっそく人間的コミュニケーションを拒絶したアユつり師と遭遇した。そこそこに気持ちよさそうな瀬であったが、通過を断念。その非人間の背後をライニングした。
久保川ー勝間の間に広がるひろびろとした右岸の河原で昼飯&水泳。対岸に道路が通っていて、ときどき走るトラックの音が気にはなるが、ちょうどこの辺は瀞場。絶好の水遊びスポットになっていた。水はあくまでも美しく、空はあくまでも青く。雲はあくまでも白く。男はあくまでも孤独なのであった。


鵜の江沈下橋を越えると、キャンプに適した河原が広がる。そうすると、それはつまりキャンプ場であった。ここはちゃんとコテージまで整備されているので あった。川面から見上げると、プレハブでできた小屋がいくつも列んでいた。それはともかく、ここを過ぎると瀬音が聞こえてくるのだが、これが今回の四万十 ツアー中、最大の瀬であった。下見してみると、かなり強く三角型の波がたっている。といってもストレートで、岩を気にすることもない状態だから、まったく美味しい瀬なのであった。

流木が突き刺さっているのか、はたまた立ち枯れなのかは分からないが、実に絵になる木のオブジェがあった。なんとなくカナダな風景なのである。と いってカナダに行ったことさえ全くないのだけれど。いわゆる急峻な日本のやまなみとは違うこの辺りの景色がそう思わせるのかもしれない。しかしそれも束の 間。ジャストタイミングで屋形船が遡って来て、幻想のカナダは一瞬のうちにどこかへ飛び去ってしまった。ある意味では、まったく一人っきりになるのは難し い川なのである。
さて、そろそろきょうのキャンプ地、川登。ほぼ予定通りに到着、やれやれと気をぬいたところに魔の手は潜んでいた。たいした瀬ではないと突っ込んだ のがいけなかった。以外にも勢いが強い。正面の岸壁に向かってまっすぐに流されていく。流れは、この岸壁に当たってほぼ垂直に曲がっているようだ。いかん 激突だ。どれだけ漕いでも岸壁から逃げられそうもない。艇は横向きになって岩壁に近づいていった。もうお手上げ。最後の手段、渾身の力を込めてパドルを岩 壁に打ちつける。ブレードが岩に当たってパーンと乾いた音をたてた。割れたな!?。まだ艇は岩壁に押しつけられようとする。もう一度打ち込む。ブレードが 異様にしなる。もう一度。もう一度。もう少しで岩壁がとぎれる。必死になって岩を漕ぐ。
助かった。淵だ。そこには捩曲げられた流れから取り残されて、静かな淵ができていた。振り返ると、斜陽の穏やかな光のなかで、軽やかな瀬音をつくる不気味な一角があった。獲物を捕りそこねたような何食わぬ顔。瀬は、そんな表情をしていた。

4:30、川登大橋を越えて、右岸に上陸。キャンプするにはうってつけの河原。所々にたき火の痕があるところを見ると、先日の連休はさぞかし賑わったのだろう。だが今日は、貸切りのようである。
4:30、川登大橋を越えて、右岸に上陸。キャンプするにはうってつけの河原。所々にたき火の痕があるところを見ると、先日の連休はさぞかし賑わったのだろう。だが今日は、貸切りのようである。
★★ここでワンポイント情報★★

川登についたら、ぜひとも買い出しに行きたい。
橋を渡って10分ぐらいの道のりだ。学校の方へ歩いていくと、やがて郵便局。電話ボックス。そして雑貨屋さん。ここでビールとつまみを買い、水をわけてもらう。が、ここで引き返してはいけない。もう50メートル先に行こう。そこに魚屋がある。運がいいと、鰹のたたきにありつける(一人前ワンパック500円なり)。しかも魚屋といえば氷がつきもの。ちょっとビールを冷やす程度ならわけてもらえるし、ブロック氷を買うこともできるのだ。

その夜、川ではいったい何の漁であろうか、数艇のボートがあつまってきて、仕掛けを張っていった。そして、しばらくすると川下から、煌々とライトを照らし、オールで川面を打ちながら遡ってくるのだった。近くに寄って、何が捕れるのか尋ねてみたが、ちゃんとした答えは返ってこなかった。シャイな漁師さんたちであった。

9月19日夜半過ぎから雨。テントにあたる雨音でなかなか寝つかれない。ときおり強く降る。朝方やっと小降りになったものの、もう寝る気も失せたの で、テントから這い出す。やがて雲は山の稜線をゆっくりと登っていき、それとともに雨もやんでいった。はるかに南の方の空に、雲の切れ目があり、そこから 青空が垣間見れた。はたせるかな太陽は顔を出し、タープとテントも快調に乾いていった。10:00出艇。ツーリング最終日を迎えることになった。 台風が近づいているのだろうか。雲の動きは速く、ときおり厚い雲が覆いかぶさるようにやってくる。台風のとき、この川はどんな表情を示すのだろう か。この穏やかな姿とはうってかわった厳しい顔を見せるのだろう。それは、いまそこに沈んでいるものからも分かる。澄んだ川のまん中に沈んでいた白い物体、それは自動車であった。増水時にどこかから流れてきたものなのだろう。

三里を過ぎ、深木の沈下橋に腹這いになって釣りをする少年たちを懐かしく眺めやって漕ぎ進むに、えらく騒々しい音が聞こえてきた。ここにこの川が晒されている現実があった。採石場だ。山を縫うように流れるこの川のほとりから、いままさに山がひとつ姿を消そうとしていた。どうしてもここでなければならなかったのだろうか。恨めしく眺めていても仕方がない。大きな溜息をついて、そして大きなスイープを入れて、そのカーブをあとにした。
今成の沈下橋が見える辺りで、また屋形船に遭遇。老夫婦を乗せた船は、手を振って通りすぎていった。沈下橋と屋形船、この川ならではの光景だ。この 辺までくると、もう旅は残り少ない。下流に来た証拠に、葦原が川岸を覆っているところが増えてきた。ふと見上げると岩壁の上には彼岸花が咲いていた。そう、旅を終えたら墓参りに行かなければ…。最後のカーブが見えてきた。
下流になるにつれて四万十川は瀞場が少なくなる。自然と進み行くスピードも上がることとなる。ただ浅瀬が多くなるのがたまにキズ。ちゃんと川の色を 見ていないと、いつの間にかパドルの先が岩を掻くところに入り込んでしまう。川幅が一気に広がったところで中洲に上陸して、最後の昼食。このまま漕ぎ進めばあと30分もかからずに四万十川橋まで、辿り着いてしまうだろう。もったいないから、ここで足踏みだ。ぐるっと見渡し、そして四万十の空気をもう一度、深呼吸した。

赤い橋が見えてきた。四万十川橋だ。屋形船の発着所を左に見たところで、大きく右へコースをとり、最後の瀬に入っていく。
瀬の入口で初老の男の人が投げ網を持って佇んでいた。水はここにきても、痛いほどに清冽だ。かの人は、そこで昔ながらに、自らの力で、川のめぐみを採る。 そして夕餉に食す。いまではほとんど見られなくなったそんな当たり前のことが、ここではちゃんと行われている。四万十川。またいつか、いまと同じあなた に、会いに来たいと思う。

1996年9月17日
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