202x年
さようなら、インディストラクティビリティー1世号。
2015年12月
さようなら、愛しき人。
2010年5月
さようなら、もうひとつの「インディストラクティビリティー号」、青いジープ・チェロキー。

君と走った七万三千キロ。君は、94年の年末にやってきて、まだ若かった夫婦を力づけてくれた。苦悩の続く年の瀬が明けると、すぐ大地震が襲ってきた。何が起こったか分からないボクは、君に乗り込み、ラジオを聞いた。真っ暗闇のなかで、神戸の放送局はすべて押し黙ったまま。はるか京都の放送が受信できたけど、近畿地方で強い地震があったようですと告げるだけだった。ガラスの破片だらけの部屋からどうやって、裸足で出てこられたのだろう。どうやってスキーウェアを見つけ出したのだろう。ただ、ボク達夫婦は、急いで身支度を終えると、子供のいる病院に向かった。アスファルトは波を打ち、そこら中のガス管が破裂して、異様な匂いが立ち込めていた。街灯はすべて消え、真っ暗な道だった。通行できる道は限られ、やっと見つけた道は、高速道路が落下して通れなくなっていた。迂回路は道なき道だ。君は歩道や路肩の別なく、乗り上げては走り続けてくれた。君はまさにジープとしてボク達を運んでくれた。やっと到着した病院は、暗い巨塔だった。階段は壁面の瓦礫で埋れていた。懐中電灯だけを頼りに、なんとか七階の病室まで登っていくことができた。娘は、たくさんのタオルをかけてもらい寒さをしのいでいた。やがて自家発電が作動して、最悪の事態は避けられたのだった。
あのあと、あの傷ついた街をどれだけ走ったのだろう。芦屋の友人に、にぎり飯と水を届けようとした。西宮の酒蔵の周りは、日本酒の匂いでむせ返るようだった。地割れがそこここにあり、それを踏み越えた。電線が垂れ下がり、軒先が塞ぐように覆いかぶる道を、そろりそろりとくぐっていった。道は行き止まりだらけ。なんとかたどり着いたその先に、友人が元気そうに笑って迎えてくれた。だけど横の家が焼けていた。頑張ったけど助けられなかったと、ポツリと言った。また別の友人の実家の荷物を運び出しに岡本へも行った。君は、後ろの席を倒すと、結構モノがはいるからね。新車の癖して、最初からフル稼働だった。
あの辛い日から、人が、街が、少しずつ立ち上がっていくのを君はずっと見てきたんだ。大切な命を運び、貴い骸を運び、やり場の無い心を運び、次の希望を運び、うちひしがれる虚しさとともに、幼な子の無垢な笑い声を運んだ。
いろんな川に出かけたね。独りっきりの川原に君が一緒にいると、なんだか心強かった。遠くにデポして、取りに行くときはいつも無事を願った。幸いにも、一度もトラブルには巻き込まれなかった。さびしそうにポツンと待っていてくれた君に乗り込む、セルを回す。するとドカンと力強い揺れとともに、君はおそろしい馬力の機械として蘇る。「さて、今日はどんな悪路を行きますか?」と。
こいつの鋳型エンジンは、二十万キロぐらい平気ですよ。とはメカニックのおじさんの言葉だったが、残念ながらオーバーヒートでシリンダー内の、オイルシールディングに問題を抱えてしまった。最後は、電気系統の原因不明の不具合のため、あのエンジン音は二度と戻らなかった。
エンジンが止って途方に暮れていたとき、一羽の蝶が、車の周りを舞った。ときどきこの不思議な蝶が現れる。何を告げようとしているのだろう。ただの蝶じゃないかと他人はいうだろう。でも、それがなんらかの啓示をくれる存在であることを私は知っている。
「そろそろ別れの季節がやってきたのよ」と言っているような気がした。「でも、せめて来年までもたせたいんだ」とつぶやくと、「もういいのよ」とささやいたような気がした。

五月のさわやかな青空の下、チェロキーと最後の別れをした。廃車?、青空を負かすぐらいに美しいスカイブルーの君なのに。車台エレベーターの扉が閉まり、君の姿は、脳裏のものとなった。
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