空を、漕いでしまったよ。仁淀川。

陽が山の稜線の向うに落ちると、川面には不思議な時間が訪れる。宙と水の境界がなくなる瞬間がやってくるのである。勢いをなくした光が、邪心なく川底に届く。すると、透明な空気と透明な水はひとつになる。見よ、ボートが空を飛んでいる。川底の上空、数メートルのところをボートはまぎれもなく滑空していった。澄んだ川だった。日本一の清流、仁淀川。

DATE天候区間
1996/9/14越知-宮地
1996/9/15宮地-柳瀬
1996/9/16雨のち晴柳瀬
水質★★★++さすが日本一の清流。
水量★★★-ちょっと少なめ。よく腹を擦る。
伊野町仁淀川橋を左岸から見る。橋を渡ってすぐ右に折れると橋の下に降りる道がある。(ちなみに橋を渡って左に行くと、かんぽの宿がある。このときは改装工事中だったが…)

9月14日、3:00に仁淀川橋に到着する。朝7:30の甲子園フェリーで出発してより既に7時間以上経っていた。さすがに四国も、太平洋側となると遠い。橋のたもとに、車一台をデポして、もう一台で上流を目指す。(この辺りの河原も、キャンプにもってこいの好立地。右岸、橋の真下あたりに降りていける道がある。車を止めるにも丁度いいスペースがある。)

後ろ右手に見えるのが、セメント基地。この奥あたりから河原に降りられる。橋の下にはブロックが沈んでいて、艇を曳くことになる。水量が多ければ、そのまま行けそうではある。

越知についたのは、もう黄昏近くだった。セメント工場の裏地を降りていくと、そのまま河原に降りていける。ただかなり急なうえに凸凹の坂であったり、河原が玉砂 利であったりするから、ふつうの車ではちょっと無理。ジープで来ていて幸いだった。いっきに河岸まで車で乗りつけ、荷物を降ろすと早速出艇の準備に取りか かった。その間、対岸にある学校からは、放課後の部活動だろうか、ブラスバンドの音やエレキギターの音が聞こえてくる。おや、あれは懐かしい「スモーク・ オン・ザ・ウォーター」。いまでも若いバンド野郎のバイブルなのであろうか。ファルトを急いで組み立てなければならないのに、そんなことを考えていると随 分となごんでしまったのであった。

とりあえず、キャンプが張れる河原まで行きましょ。ということで出艇したのは、5:30。おいおい、もう日が暮れかかっているぞなもし。が、だから こそ、あの美しい瞬間に出会えたのであった。川が、宙になる瞬間。水と空気の境目がなくなる。ボートは、浮いていた。浮いているのだか、どうして浮いてい るのか分からなかった。ただ遥か下の方を、川底の石たちが通りすぎていった。

6:00宮地上の河原に接岸。わずか30分足らずだが、夢見心地のツーリングを終えて、この河原がキャンプ地になった。日没と競争するように、テントとタープの設営。なんとか間に合って、友人S氏のお手製の燻製を肴に、至福の一杯。時折、川面を魚が跳ねている。いや、跳ねる音が聞こえている。タープ の下から這い出して見上げた空には、見たこともないぐらいの美しい天の川が、走っていた。

どこかで、さかなが跳んだ。

明けて9月15日。快晴。昨日はもう暗くなりかかっている頃に接岸したから実際の美しさは分からなかったが、いまこうして白日の下に見ると、仁淀は文句なく美しい。

南国土佐の空は、日本ばなれした朗らかさに満ちている。こんな所に生まれ育ったら、器の大きな人間になれたのかも知れない。なんてホントに感じるような、澄んだ空と、水だ。

10:30出艇。極楽ツーリングだ。

地図に載ってなかったまだ新しい橋の下あたりの瀞場で、魚つりに熱心な愛すべき人に会った。その人が乗っているのは、どうも自作のボートらしい。その珍しい船から身をのりだして、水中の魚の様子を一心に窺っている。瀬で待ちかまえて、外界との接触を絶った、ただひたすら釣果という結果しか追い求めな いような、殺生きわまりないごっつぁん釣りをしているアユ釣り師とは、全然違う人種だ。こんな素敵な人ばっかりだったら、夏の川旅はどんなに楽しいものだ ろう。

「かわった船ですね」と声をかけると、「ええ自作なんです」と声が返ってきた!よく見るとドラム缶を半分に切って繋ぎ合わせてある。細部もかなりの工夫が施されているようだ。こんな人にこそ、釣果を祈る。

横畠を過ぎた辺りで、 ちょっと厳しい落ち込み。残念ながら、これは見送ることにした。岩場をアップダウンしながら、ライニングした。

岩に囲まれた落ち込みを越えてきたような図だけど、実はその下から出艇したところ。このようなところはポリ艇に任せるしかない。もう少しだけ水量があれば、落ちてすぐのどまんなかに隠れている岩を逃げることもできるのかも知れないが…)

1級、1.5級ぐらいの瀬が500メートルおきにやってきて、アユ釣り師さえいなければ、全く以て文句はない。でもそうでないから文句を言う。本来 通りたかったルートを通らずに浅瀬へとはまりこんで、随分と腹を擦った。また、そこしか通るところがないから、紳士的に話しかけようとしたら、「カヌーが ワーワー言って通ったあとは何時間もアユが戻ってこなくって困っちゃうよ」と話も聞かずに牽制してくる。ワーワー言わないから通るよと言って、通ってやった。ザマ見やがれ。

が、水が少ないのは確かで、瀬のなかに岩がやってくる。何度もライニングダウンしたのだが、ちょっとばかり面倒臭がって、入った瀬が最低だった。片 岡の上流1キロぐらいの地点。中洲を挟んでルートは二つあるのだが、右はザラ瀬。左はというと行けそうに思えたのだけど、ダメでした。何故かこの辺の石だ けは、他の丸まっこい石とは異なっていて、粗いコンクリートよりさらにザラザラとした表面の石。こんなのに乗り上げた日には、ボトムはボロボロ。たちま ち、水が入ってきた。穴、約5箇所の大破だった。

艇の応急手当てをして、2:00、やっと昼飯ポイントの片岡に到着。均整のとれた沈下橋が目印だ。その手前には広い瀞場があり、水泳にはもってこい。相方が昼食の準備をしているにも拘わらず、思わず泳ぎだしてしまった。

この沈下橋の左岸船着き場を登ってすぐのところに商店がある。ここのご店主としばらく川原で話ができた。「それにしても綺麗な水ですね」と言うと、「昔はこんなもんじゃナイガ、この前の淵も底が透けるゴト見えた」と言う。「アユが通ると、マサシク草の匂いがシタキニ」と懐かしそうだ。

★★ここでワンポイント情報★★

休憩ポイントとしては、この片岡に如くところはない。左岸船着き場を登ってすぐのところに商店があって、まことに便利。この店、ビールからつまみから 、アユから蟹から雑貨まで揃えている何でも屋さん。ここのご店主がまた、気前のいい方で 、水を入れてあげよう。氷をあげよう。と有り難いばかり。10尾以上は入っていたと思うがアユが3500円。時間さえ許せば、川原で竹串に刺して、丸焼きという手もあるだろう。 また、この店の近くには公衆電話がある。

雨は、降ったり止んだり。ようやくおひさんが顔を出したのは、昼も過ぎてから。一向に片づけが進まない。柳瀬を後にしたのは、3:00。次の目的地、中村へとハンドルをきったのだった。

1996年9月14日