続・幸せの熊野川

あの川にふたたび、帰ることができた。 その間に夏は行き、さすがの南国紀州路も晩秋紅葉の季節を迎えていた。 だが、川は、あいかわらず幸せの川だった。前回上陸した、志古から、出艇した。

DATE天候区間
1996/11/2曇のち晴志古-小鹿
1996/11/3曇のち晴小鹿-新宮
水質★★★+減水のおかげで水は澄み渡っていた。四万十に遜色なし。
水量★★★-夏に行ったときと比べて、50センチは減水していた。
熊野川沿いの道は、バスが運行されている。このような感じで突然バス停がある。今回はソロツーリングだから、バス様様。前方に志古。クルマはそこに置いていくことになる。

熊野川は、流れていた。確かに水は少ない。前回写真を撮った合流点の浅瀬は、完全に中洲となって露出していた。とはいえ、ジェット船がちゃんと通ってい る。ツーリングは充分可能だ。いつの間にか空には南国の日ざしが満ち満ちていた。熊野川がボクの再訪を歓迎してくれている。やがて志古のジェット船発着所が見えてきた。

前回写真のフィルムがなくなって撮れなかった志古。坂道を上って向こう側に駐車場がある。約120メートルの荷物運びだ。

発着所の食堂で昼飯。その窓から川が見下ろせる。船着き場の少し下流に浅瀬となって、岩が並んでいた。「そうかこれが隠れ岩の正体だったのか」。前回来たときには、その上まで水があった。だから、そこに巨大な隠れ岩があるように見えたのだった。

増水時には、志古の右岸は注意されたし。
残念ながら、熊野川での始めてのライニングをした。

2:00出艇。幸せが心にひたひたと染み入ってくる。三和大橋を過ぎたところで、大きな瀬音が聞こえてきた。大きなザラ瀬だ。ライニングせざるを得ない。川の中を歩くが、有り難いかな水の冷たさはそれ程でもなかった。水の少ないのは残念だが、そのかわりに大きな喜びがある。水が澄んでいるのだ。この透明度は この初秋に行った四万十川や仁淀川に決して引けをとらない。

流れ込む十津川の水が濁っているので、本来熊野川はここまで澄んではいないはず。十津川の水量が少ないのが幸いした。
工場が見えたら突撃用意。1から1.5級の瀬が連続してやってくる。

右岸にコンクリート工場が見えてくる。この辺り、心地よい瀬がいくつかやってくる。ただし突き出た岩や、隠れ岩が多いようなので注意を要する。しっかり川面を見て変な渦は回避。そうすれば問題はない。どうもガケ崩れが多い場所なのか、何にしろあちこち岩だらけ 。まあキャンプは止しておきましょう。

水のあるときは、あまり岸辺を通らない方がいいだろう。岩にやられるぞ。
熊野川 パドルやすめて 秋の空

幸いなことに好天に恵まれて暖かいけど、空を見るとそこはもう秋。いわし雲が出ていた。紅葉がもっと見られると思ったのだけど、この熊野川も他聞にもれず回りの山は植林された針 葉樹林。燃えるような紅葉までは期待できない。急峻な山肌にところどころ赤や黄色の固まりが見えるのだった。でも自然の色濃さは強くて、漕ぎ下る途中、猿 の群れに遭遇した。横の岸辺に何やら動くものが見えたので目を凝らすと、猿だった。たまたま水でも飲みに来たのに会ったのだろうと思いきや、辺り一面が猿 だらけなのだった。

コーナーをひとつ越えたところで、早々に上陸してテントを張っているペアが居た。ボクもそろそろキャンプ地も検討したいのだけど、猿の襲撃だけは遠慮したい。手を振って「もう少し先に行きます」と挨拶。さて、あの人達は大丈夫だったのだろうか…。

小鹿を越してすぐの右岸に接岸。4:30だった。野営の準備を早々にして、薪を探しに出る。有り難いことに流木がいたるところにある。丸太も落ちていて、言うことなし。ものの20分ぐらいでふた抱えぐらいの薪が集まった。点火。夕闇になんとか間に合った。

風がうるさい。タープをあおる風の音で、なかなか寝つかれない。うとうとすると今度は猿がどこかでけたたましい声をあげる。すると今度は突風だ。 ポールがしなって、顔の上にテントの横っ腹が覆いかぶさってくる。気温もどんどん下がってくる。背中に当たる石も気になる。で、結局ほとんど寝れなかっ た。そして11月3日の朝がやってきた。風は相変わらず強い。

風と戦いながらキャンプを撤収。吹きっさらしの場所に設営したことを後悔した。ただ広くて気持ちいい河原だと思ってキャンプを張るのも、問題である。ともあれ10:00過ぎ、河口を目指して漕ぎ出した。天気は、晴。雲が、少し多いかな。漕ぎ出してみて分かったが、この河原は結構大きく、上の舗装道 路からも降りてくる道があり、ちょっと離れたところにはブルトーザーまで入っていた。

漕ぎ出して、30分ぐらい。これが今回のメインイベントでした。右手にコンクリート工場が見えてきたと思うと、軽やかな瀬音。最初が自然にすぼんだ 流れのためかそれほど激しいとは思わずに突入していったところ、二度三度と連続する瀬。その中のひとつは、実にバウの上1メートルに波頭が見えたほど。しこたま水を被って通過。パドルジャケットの胸元のファスナーを開けていたため、ウェアはびしょびしょ、しかも水はそのまま艇の中へ。すっかり、腰回りが冷えてしまったのであった。

岩には、たくさんの水位の跡が残っていた。相当水量の上下があるのだろうか?上にダムがあって、かなり管理された川だと聞いていたが…。

川沿いの道路は、この山をぶち抜いて走っている。トンネルを抜けると、もうそこは新宮市内。

桧杖(ひづえ)。古来修験者がこの辺りより桧の杖を持って入山したことからこの名が付いたらしいが、ここより熊野川は大きく左にカーブを描く。前方に川の流れを塞き止めるかのような大きな岩山がやってくるからだ。そしてこの山の向こうは新宮。終着点はもう目の前だ。

桧杖を過ぎてのトロ場を漕ぎ行くと、そこに紀州の秋の空が映っていた

桧杖を過ぎてのトロ場を漕ぎ行くと、そこに紀州の秋の空が映っていた。一泊二日、水に浮いていたのもわずか6時間ぐらいものであったが、またまたしっかりと幸福を噛みしめてしまった。

上陸ポイントは右岸、速玉神社の前に広がる河原となる。

右方の杜が由緒正しき速玉神社。本宮、那智の滝、とならぶ熊野三山のひとつ。

これより先、熊野大橋を過ぎるともう海になってしまうし、コンクリートで護岸されていて上陸は難しそうだ。また、この河原には車を下ろしてくることができるので、あとあと荷物の積み下ろしとかで便利になってくる。ということで、12時過ぎ、ここに接岸。

あの先が、熊野灘。荒々しい海が広がっているはずだ。

この河原より新宮駅までは徒歩15分ぐらい。駅前から志古行きのバスが出ている。路線バスもあるが、ジエット船観光のための直行バスもあるから、頻繁に出 ていることになる。フィールドパンツにパドルジャケットにサンダルという格好で乗り込むと、他の乗客から怪訝な視線を浴びることになるが、致し方ない。所 要時間は約30分。川沿いの道を遡っていくと、下ってきたときのアレヤコレヤが、まるでヒデオを巻き戻ししているように脳裏に蘇ってくる。デポした車を 駆って、荷物を取りに戻るため、今度は川沿いの道を下る。頭の中のビデオは、早送りになっていた。

1996年11月2日


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