剃刀岩の眠る川、高梁川。

ファルトには、きつい川である。そうとは聞いていたがこれは予想以上であった。開くは開くは、船底はズタボロになってしまった。石灰岩質の川というのは、 こういうものなんだろうか。常日頃より穴のことを、「愛着が開く」と表現してはいる私ではあるが、これは酷すぎるぜ、ベイビー。次回訪れることがあったと しても、それはポリ艇以外には考えられない川であります。はい。

DATE天候区間
1998/10/24井倉洞-野瀬
1998/10/25野瀬-落合橋
水質★★ダムの放水で濁っている。先日の台風の影響がまだ続く。
水量★★★水位は+1.5m。相当多い方だが、無茶苦茶に腹を擦る。

10月24日、朝。快晴。このところ、四国の大雨だの、近畿地方では珍しい奈良縦断を果たした台風だの、中国地方の台風だので、川は無茶苦茶になっ てしまっている。天気もかなり当てにならない状態だったが、この日、狙い澄ましたように晴れることとなった。後から聞くと、どうも雨男が二人いたようで、 それが打ち消し合って、とうとう晴れになったようなのである。恐るべきマイナスパワーたちである。

井倉洞の滝を対岸より臨む。

予定通り、神戸を7:00に立つ。集合地、山陽道・吉備SAに着いたのは、9:15であった。10:00にそこを後にして、岡山自動車道・賀陽IC を降り、高梁市内にて買い出し。下流のデポポイントに着いたのは12:00。キャンプ地・野瀬の河原にもう一台のクルマをデポして12:30。出艇地・井倉洞の無料駐車場に乗り入れたのが13:00。なんだかんだで出艇は14:30となった。

ところで今回は、二人艇5杯と一人艇1杯といういまだかってない大船団。予定時間で下れれば良いのだが……。キャンプ道具は一式野瀬のデポ車の中に入れてある。12キロ先である。ウーム。

残念ながら川は濁っている。増水ぎみでもある。下流の水深計では2メートル近くのオーバーであった。本来どれぐらいの透明度を持っているのかは分からないが、かなり山深いところを流れているのだから、それなりに美しいのではないだろうか。

井倉洞下に通り抜けられる小さな穴がある。

出艇すると、すぐに井倉洞横の滝。そして、洞窟へと渡る橋の下を通過。この奥に鍾乳洞が広がっているのだが、いつものことながら余裕のない行程であるから して、寄り道もできない。せっかくの観光地も我々にとってはただの目印に過ぎないのである。その少し下手にある艇がかろうじてくぐり抜けられる洞穴、これが我々のささやかな井倉洞体験となった。

意外に川幅は狭く、結構ゴツゴツしているのが分かるだろうか。

結構、水に勢いがある。川幅と てたいして広くないところに、この水量だ。つまり瀬が元気ということになる。だいたいがストレートの瀬なので難しいというワケではないのだが、思った以上 に大きな波を被ることになる。頭の高さを超える波を何度か食らった。一度はバウで砕いた大波が真上から降ってきて、スプレースカートを一瞬のうちに突き 破ってしまった。艇内はいきなりの大浸水。ビルジタオル?をいったい何度しぼったことか。あやうく腱鞘炎になるところであった。

台風一過。しかし、もう冬の冷たさを感じさせる空である。

振り返ると沈したものも、何人かでたらしい。その上に晩秋の空が 広がっていた。もう霜月もそこまで来ているのだ。ちょっと水浴びは辛いかも知れない。今回合流したゲストのご夫婦はウェットを着ていないらしい。こういう のをいわゆるハイポサーミアに近づいている状態と言うのであろう。ちーとばかしヤバい。時刻は16:00。行程は、まだ半分ぐらいだ。結論としては ここでのリタイアを奨めることとなった。ちょうど広石橋の袂、ここからだと左岸から国道へ登ることができる。というか、ここを逃すと上陸ポイントはなく なってしまう。しばらく夫婦水入らずでお語らいください。暗くなる前には、ピックアップしに来ますから。たぶん。

この後も、川はなかなか楽しい瀬を次々に繰り出してくる。件の広石橋を過ぎてすぐの瀬がまたエグい。思いっきり右にカーブしているため、思いっきり 左岸に張り付けられてしまう。しかもその左岸というのがギザギザのヤスリ状態。努々油断することのないように。哀れK君は、ここにて左舷テンションチュー ブを破損。以後左に傾いたまま漕行するはめになった。中井橋を過ぎて9キロ。谷間からは、いよいよ陽の影がその姿を消した。船を破損した者、寒さに震える 者、タオルを搾る者で、隊列はバラバラになっていった。

対岸少し上流側に飲み物の自販機もあるので、キャンプ地はこの辺がいいと思う。

トップのタンデム艇が5時過ぎに、キャンプ地の野瀬に到着。しんがりは、30分遅れ。まさしく闇から逃げるように上陸したのだった。しかし陽の落ちてからのテント設営は、なんて淋しいものなんでしょうねえ。

明けて25日、やはり快晴の秋の空。7時頃にもぞもぞと起き出すと、まずは艇のもとへ。あー、やっっぱり、開いている!朝露に光り輝いて、パックリ と裂け目が口を開けていた。キールに沿って総延長50センチ。じっくり腰を据えての補修作業となった。本日もおよそ12キロの行程。例によってのほほんと 準備しているうちに出艇は10:00。まあ、今日のところは、昼飯が遅れるだけのことなのだが。

台風のため濁る。本当の高梁川ははたして如何に。

昨日に比べると川相はずいぶんと穏やかになる。

なかなか立派な瀬。岩を避けながらS字に下る。

イベントとしては一回だけ。5キロ地点にやってくる大瀬で ある。ただし岩も多く、落ち込みとなっているので、ちょっと厄介だ。S字を描きながら瀬を抜ければ良いようなのだが、瀬の入り口の落ち込んだところに岩の 影がある。その深さが微妙だ。じっくり近くまで寄って判断するに大丈夫そうである。三角波か、それとも隠れ岩を示す波か、よく分からないでいたが、今回の 水の量から考えると、これは可である。しかし、普段はどうであろうか。そもそも平常時の水量では、この瀬は通過できないのではないだろうか。かくて、うま く通り抜けられたメンバーは、本当に楽しそうに下っていったのであった。(そうでない場合は、それなりの楽しさでというのは、世の習いである。)

いい気持ちの瀬である。成功すればであるが…
城下町に入ってくると、護岸の殺伐とした川になってしまう。

有漢川が流れ込む辺り以降は、瀞場が 続く。やがて市街地が見えてくると左岸は高いコンクリート護岸になってしまう。さらに水深が浅く、石だらけ。油断するとすぐ腹をするし乗り上げる。油断し なくても腹を擦るし乗り上げる。どのルートを採ったところでロシアンルーレット状態に変わりはない。方谷橋と高梁大橋、市街地に架かる二つの橋を越えると ゴールは間近だ。何となく水も汚れてきたようだし、そろそろ終わりにしたいなぁと思った時に旅は終焉を迎える。

右岸にテニスコートと運動場が見えて暫くすると、福山通運の倉庫が現れる。上陸地点である。14:00接岸。艇をひきあげると、またあちこちに愛着が開いている。ノーティレイ艇を除いて全員が愛着を刻んだ思い出深い高梁川行であった。

福山通運の倉庫が目印。河原に降りる道が来ている。唯一無傷に近かったノーティレイ艇。なんで?


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