円山川か、円山池か

正直言って、腕が疲れてしまったのである。ほとんど流れがない川は、池と同じである。そこに待っているのは大パドリング大会。そのうえ、もし向かい風が吹いたり、満ち潮だったりしたらどうなるであろうか。(実際そうなってしまったのであるが…)「うーむ、それは楽しそうだ。ぜひ経験したい」という人は、円山池へ、いやいや円山川へ行かれよ。私は、とりあえずもう遠慮しておくが。

DATE天候区間
1996/8/11上郷橋-山本
1996/8/12山本-城崎
水質★★-市街地を通る河だから仕方ないとはいえ、沈は御免蒙る。
水量★★しばらく雨が降ってないため少ない(流れのある所)。

8月11日、要するに社会人の夏休みなのである。こんなときこそアチコチ行きたいのだが、どこもここも鮎シーズンまっ盛りなので、穴場を探す。そう するとこういう選択肢が出てくるのである。自動車での移動は、難なくこなせた。休日初日は相も変わらず大渋滞になる中国道などは使わず、下道176号を北 上し、三田北から舞鶴道に入り、福知山経由で養父市場を目指す。西宮をたって約3時間で到着、走行距離は150キロである。

ものの本によると、この養父市場辺りから、カヌーでくだれると書いてあったのだが。アレッ?堰堤だらけだぞ。それもかなり立派な堰堤。さらに橋の下 には、ことごとくブロックが積まれている。こればかりは地図では読み取れないし、現場に行って、初めて分かることとなる。おいおい話が違うぞ、と思いなが ら川沿いの道を車でくだる。結局、上郷の辺りに来てやっと堰堤がなくなり、川原に降りる道も見つかった。

一度相方と城崎まで車を落し、デポ。一台に荷物を積みなおして、上郷へ遡った。

★★ここでワンポイント情報★★

豊岡市は、古き城下町なのであるが、ここに立ち寄ったからには、そばを食べたい。 というのも、ここの殿様、江戸生活が長かったせいで、すっかりそばに魅せられてしまい。この地に赴任するに当たってはそば職人をごっそり引き率れてきたと のこと。おかげで、美味しい出石(いずし)そばなるものが頂けるのである。で、その店であるが、今回のいきあたりばっ旅で、いきついたのが、「そば福」さ ん。という店だったと思う(記念にマッチを貰ってきたのだが、水にぬれて、捨ててしまったのである。トホホ)。豊岡市のド真ん中に位置するロータリーと なった地にある。これ、ホントにロータリーなのである。駅前でもないのに、こんなロータリーがあるなんて、日本ではかなり珍しいのではないか。ま、いい加 減な情報で申し訳ないが、地元の人に聞けばこれを頼りに分かるはずだから、ぜひ行かれよ。ホントに旨いぞ。そば湯なんか、トロットロッなんだからっ。

上郷橋。 この下のブロックを最後に、堰堤はなくなる。ちょうど川に降りる道があって、出発点としては便利。

で、この上郷橋の たもとから出発することとなった。ちょうど、川原に降り立ったときには、地元の少年少女を集めた課外活動をやっていた。お手製の筏がいくつか運びこまれて いた。これで下っていくらしい。そのなかの引率者と思われる人に、話しかけてみた。「これから先に堰堤はないですか?ボクたちもカヌーで下るつもりなんで すが。」と尋ねてみた。すると、「ないよ。でもカヌーだったら関係ないでしょ。平気で下れるじゃない。私らみたいな筏とは違うんだから」という返事。この 悲しき敵意は一体何なんだろう。この国には、アウトレジャーに対する間違った認識があるみたいだ。彼らにとっては、それは子どもに何かを教える手段のもの であって、一緒に楽しむ人生の一部では決してありえないのだろう。

水が少ない。そういえば、しばらく雨が降ってない。

それはともかく、暑い日ざしの中でボートを組み立て、ボクたちはこの川を下りはじめた。出挺したのは、もう3:30を過ぎていた。水が少ない。至る所でライニングが必要。瀬らしい瀬もやってこない。

川漁師が、船を操り、仕掛けを流れに張った。

やがて見えてきたのは、土渕(ひじうち)というヘンな石の塊りが川の中に林立する箇所。川底も浅く、えんえんと船を曳いて歩くことになった。 そこを出るとき、川漁師に会った。ボートから網を繰り出しながら、手際よく仕掛けをしていった。アユを捕るらしい。川面には、夕方が近づいていた。

キャンプ地を探しながら、下る。やたらと魚が、艇のデッキを横切ってジャンプする。いまいましいかな、顔をはたいていった。ボラ?かな、生臭い。

豊岡の市街地を左手堤防の向こうに感じながら、緩やかな瀞場を 漕ぎ進む。6:00も間近か。そろそろ今日の野営地を気にしたいところだ。橋をいくつかくぐっていくと、前方に鉄橋が見えてきた。きょう朝の偵察では、そ のたもと辺りに広大な緑の川原があったはず。しかしコンクリートで護岸されているため上陸できない。もう少し下ると今度は葦原が続いてしまうのであるが、 有り難いかな、着岸できる小さな砂地があった。上陸。テントを急いで張る。

出発の朝、夜露も、夏の太陽の前にすっかり乾いてしまった。

不思議だなあ。このキャンプ地、 虫がいないのである。水辺で、しかも、草地で、なぜだろう。もちろん蚊とかいないに越したことはないのだが、それでも少なすぎる。まあ、この辺に動物がい るとも思えない。暗くなってからは、めったに人も来ないだろう。だから、蚊にとってはおいしくない場所と言える。でも羽虫はどうしたんだろう。と、見上げ ると、対岸に明るい豊岡市街の灯が空を焦がしていた。虫は、あそこを目指すのだろう。

8月12日。9:00過ぎ、キャンプ地をあとにする。出艇のとき、ジープの屋根にFRP艇を載せたファミリーがやってきた。我々の姿を対岸の道路 から見つけたのだろう。いい出艇ポイントが見つかったといったところか。「お先に」と出発。さて、ここからが、正真正銘の円山池である。漕げども漕げども 進んだ気にならない。500メートルぐらい進んだところで、いい加減イヤになって手を休めていると、先程の二人艇FRPにあっけなく抜かされてしまった。

いい天気である。ということは、暑いのである。冷たい飲み物がほしいが、店屋に買いに行く方法がない。広大な葦原が両岸を埋め尽くし、たとえ店らしきものがあっても上陸のしようがないのだ。ぬるいウーロン茶でごまかしながら、2時間ほど漕ぐ。やがて玄武洞が 見えてきた。左岸から、右岸の玄武洞に渡し船が出ている。ということは、桟橋があるということ。つまり上陸できるということ。したがって冷たいビールがうまいということになる。

左手に渡し船の桟橋がある。右手の小さなクリークは、特に使われている気配もないので、そこにお邪魔させてもらう。すぐ前が売店・レストランになっている

ホントはもうここで止めにしたいのだが、下にクルマをデポしてきているから仕方がない。再び離岸。巨大な軍艦を思わせる中洲を通りすぎて、一路城崎をめざす。

葦に包まれた巨大な中洲が、川のド真ん中にある。右岸に見えるのは実は中洲。
橋の上には、竿をたれる地元の少年たちがいた。何がつれるんだか。

城崎大橋まではまだよかった。さて、それからがいけない。川面に波がたちはじめた。

カメラをかまえていると、風で艇が横に向けられる。横波をうけたら大変なので、あわててパドルに持ちかえる。

川面に波がたちはじめた。 満ち潮で ある。向かい風である。50センチぐらいの波ではあるが、次々に押し寄せてくる。どこにも逃げ場がない。ただ漕ぐ、無心に漕ぐ。風に押し戻されながらも少しずつ海に近づいていく。いよいよ大きな波がやってくるのだろうか。と思っていると、あにはからんや、波はおさまっていった。港に停泊する大きな漁船が見 えてきた。

もっと感動的かと思っていたが、それほどでもなかった。なんとなく海に出てしまったような感じ

あっ日本海だ。視界があまり開けなかったからだろうか「赤い灯台の向うに、ずっと続いている水面。あの位置に存在する水面は、海面であるはずだ。」というような論理的な海であった。

夏の能天気なぐらいに晴れ渡った空の下、川は昼寝をしているかのように、流れることなく、そこに横たわっていた。別にお前に文句があるわけじゃない。勝手にやってきて勝手に下ったのはボクたちなんだから。

うーむ、疲れた。さあ、接岸して片づけを始めよう。

1996年8月11日


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