
川に行けない鬱憤は、あちこちに影響を及ぼす。せめてバーべキューでも、せめて最後の海水浴でも、とかの名目のもとに開かれた九月半ばのみなべ・白浜大宴 会は大きな犠牲を払うことになった。あれだけ気をつけていたのに、ビールはがぶ飲みするは、二日酔いの脱水状態のなか海には行くは、温泉には入るは、魚介 類のオンパレード。とうとう翌日、わが左足はうす紅色に美しく膨張した。「痛風発作ですなぁ」医者はいとも簡単に診断をくだしたのであった。でも、九月最 終週は、やっとのことで取得がかなった夏休み。今シーズン、いまだどこにも出艇していない身としては、なんとか川へ行きたかった。しかしながら、いつもの 連中はいずれも予定が合わず。不安な思いを左足に残したまま、かくして江ノ川ソロツーリングは始まった。

DATE | 天候 | 区間 |
2006/9/27 | 晴れ | 香淀-両国橋 |
2006/9/28 | 晴れ | 両国橋-石見松原 |
2006/9/29 | 晴れ | 石見松原-神戸 |
水質 | ★★++ | 真夏だったら、ところにより泳ぐ気になるかも。 |
水量 | ★★★ | まあまあじゃないかな。いっぱい波もかぶったし… |

遠いぞぉ。中国道をひたすら行くが、三次というICの表示は一向にあらわれない。神戸出発、六甲を抜けてからすでに3時間。そろそろ走行距離が 300キロに近付く。やっと、インターの表示が出た。これは、仁淀川アタックが裕にできる距離にあたる。思えば、一人で遠くに来たもんだ~。
★★ここでワンポイント情報★★
で、折しも12:00インターを降りて直進すると、三次市街に入っていくのであるが、走って1~2キロ。ちょうど街に入る高架の手前に、腹ごしらえアンド買い出しスポットがある。駐車場も広いし、これは便利。
片や右車線側にローソン。左車線側には、焼肉屋とラーメン屋がある。で、ちょうど午すぎだったので、昼食を取ろうとラーメン屋に入る。痛風はさ ておき、何かは食べなきゃいけないので、本日はラーメン(あんまり良くはないのだろうが)。その店、名前は「ばり口馬(うま)」ラーメンという。うまは、 口へんに馬。パソコンで出てこない字だが、何でも広島が本店の「紀州和歌山ラーメン」らしい。 なんで関西からわざわざ行って和歌山ラーメンなんか食うてんねん。と言われそうだが、実は意外に「旨い」。いやかなり旨い。和歌山ラーメンとし てはかなりコッテリ目だが、とにかく1食の価値あり。残念ながら、広島と山口にまだ十店鋪ぐらいしかないようで、現地で喰うしかないみたい。★
さて、三次から、西へと川を辿る。この辺では、江の川は、可愛川(えのがわ)という。三つほどの川が集まってきて大河となる。しかしながら、下流5キロぐらいに巨大な堰堤であり、水量を管理している。たしかに相当な暴れ川のような感じだ。

堰堤より下は、岩だらけ。しばらく荒っぽい川が続く。式敷までは、ちよっとファルトの出番はなさそうだ。式敷は、駅が川から少し離れているため、出艇ポイントとしては諦めたが、もしかしたら川にアプローチする場所があるかも知れない。ただし未確認。
さらに一個先の駅、香淀をめざす。まずは、香淀大橋を渡ってすぐ、駅舎が突然表れた。駅前がロータリーになっており、瀟洒なたたずまい。三江線の時刻表はネットからダウンロードしておいたが、一応、念のためダイヤを確かめようと、駅に入った。

うむっ?何かがおかしい。駅舎は立派であるが、ホームは存外に小さく短い。ワンマンカーぐらいの車両を使っているのだろうか。もちろん単線である。朝夕に上下それぞれ2本ぐらいしか運行されていないと聞いている。が、やはり様子が変だ。
線路って、運行数が少ないといっても、こんなに錆びているものだろうか。ふつうは、スチールの鈍色の筋が残っているのではないだろうか。と、首をかしげながら駅舎に入って掲示物を見渡してみた。

なんじゃ、こりゃぁ。三江線が止まっているではないか。で、代行バスは、どんな運行になっているの、石見松原はどうなっているの。問い合わせ先、 えっとえーと、「もしもし…」。となったのは言うまでもない。携帯電話って便利やねぇ。普段はこんなのどうでもいいと思っている旧世代人間だが、こんなと きには文明の利器にすがるしかない。
幸い時刻表に沿って、代替バスが香淀ー石見松原間を運行とのこと。ソロツーリングは可能。ふーっと、ため息が出た。
さて、次は出艇ポイントさがしである。香淀の1キロほど下流に支流の流れ込みがある。そのへんに車を落とすところがあるはずなのだが…。

目印は郵便局を過ぎてすぐの自動販売機が出ている酒屋の前当たり。立派なスロープが、ずずずいっと、川面まで続いている。これは有り難い。川のすぐ 間際には鴨の群れがいて、糞などで少々汚いのではあるが、この便利さに比べたらなんてことはない程度。13:30、早速艇を組みはじめることとした。

15:00、出艇。すぐに1.5級程度の瀬がやってくるが、とくに問題はない。やがてカヌー公園・作木の施設が見えてくる。ここにも川まで続くスロープが ある。出艇ポイントにできそうだ。ダム排水口とカヌー公園というミスマッチが何ともいえないのではあるが、まぁ、いいか。

途中、1級から1.5級ぐらいの瀬が、適度にやってくる。あと、ずっと向い風が吹いているため水面は常に波立ち、延々瀬を漕いでいるような感じになってく る。久しぶりに川に来た者にとって、これは悪くない。やっと来れた実感がひたひたと心に打ち寄せる。やっぱ、川はいいよなぁ。

といいつつ、出艇から7.5キロポイントに滑瀬という名の2級の瀬がやってくるが、こいつには落ち込みがある。事前の情報でそれはつかんでいたので 覚悟はできていたが、たしかに落ち込んでいた。やや左よりから瀬に突入していくのであるが、ひとつふたつ瀬を越した後に、目の前にまさに、ずどんとした落 ち込みが見えてくる。「おいおい本当に落ち込んでるやん」と思わず独り言を言ってしまったぐらいだ。知らないで入ると結構慌てるのではないだろうか。かす かにどこかボトムを打ったような気がしたが、その後も結構長い瀬になっているので、そんなことをいちいち気にしている場合ではない。すべてを漕ぎきると、 落ち込みははるか彼方になってしまい見えなくなっていた。

集落から遠ざかると、まあまあの透明度。夏だったら、ちょっとぐらいなら浸かってみるかという気が起きないこともない。

夕刻が近付くと、向い風がいっそう強くなってきた。さて、そんなときはどうするか。パドルの手を休めると艇は風におされて横を向く。ならば、いっそ のこと後ろを向いてしまえばいいのである。バックストロークにする。すると、さっきまで耳に吹き付けてぼうぼうと聞こえていた風の音が突然消える。そし て、代わりに聞こえてくるのは、周りの森の木立の揺れる音、さまざまな葉っぱの囁き声たちだ。萌の朱雀のワンシーンを見ているような感じになってくる。そ も一興である。

10キロポイント、両国橋のたもとに近付く。今日の宿営地をそろそろ決めなければならない。橋のちょうど下は船着き場になっていて上陸も可能だが、 テントを張るには場所が狭い。たまたま、船の整備をしに降りてきたオヤジさんがいたので、「この辺でテントを張れるような河原はありませんか」と尋ねる と、「もう少し、しもに行ったとこに、河原があるが、そこでようテントはりようがねぇ。入り江になっとるで、すぐ分かろう。」と教えてくれた。
橋の先、焼石の瀬を越えると支流の流れ込があり、その向こうにたしかに船の繋がれた入り江があった。その少し先に上陸。ちょうど17:00だった。

周りの木は、7/23の大水の痕なのであろう、先の方までゴミがからまっていてあまり美的な環境とはいえないのであるが、あまり広い河原ではないの で致し方ない。その木の下にテントを張った。支度を終えると夕暮れがすぐに来た。西の山上に、綺麗な三日月が出ている。見ると下草はススキではないか。ま がうことない秋の宵すがただ。
痛風の身ゆえ、たいして食べたり飲んだりの愉しみも味わえない。ちょっとだけ飲んで、さっさと食事して、テントに潜り込んだ。かなりあっさりした野営となった。ひとりだし、まぁ、こんなものでしょ。
夜が来て、朝靄に包まれた朝が来て、そして晴れた。




朝の川面は、美しい。だいたい、テントの天幕が明るい極彩色に染まって、目を覚まし、外に這いずり出すのであるが、普段とは全然違う時間帯の活動となる。だいたい6時には起床というのが、カヌー時間の標準でなかろうか。
ひんやりした朝のもと、湯を沸かし、スープやコーヒー。静寂のひととき。と、思いきや…。
28日は朝7時、ガーゴトゴトコドコドバンドコドコドコドコドドーン。
いったいこれは。何だ。
実は、昨日来気にはなっていたのだが、このサイトの裏側はコンクリート工場であった。でも、まさか9時より早く何かが始まることもないだろうとタカを括っていた私が悪かった。
正式な始業ではないのだろうが、どんどんトラックが入ってくる。こりゃたまらん。
とにかく、今日のスタートは切られてしまった。ひたすら出艇準備をする。一旦騒音はおさまったかと思って、準備の手綱を緩めると、今度は八時。「何々番車は、何番にて積載」なんて放送までがスピーカーから流れてきた。とにかく一刻も早く川面へ、川面へ。
八時四十五分、やっと出艇の段取りが整った。とにかく出艇。ほな、さいなら。あー、堪らん。

ところで、落ち鮎シーズンなのである。釣り師も結構出ているし、あちこちにやなや仕掛けがある。ただ、通行をさまたげるまでのものはないのでポーテージしなくてよいのは、有り難い。

きのう同様、次から次へと心地の良い瀬がやってくる。そんなにややこしい瀬ではないので、ちょっと横着をして接写を試みた。なかなかいい感じ。どんぶらこどんぶらこと揺られた記憶が蘇ってくるようだ。

やがて、三江線の鉄橋と宇津井大橋が見えてくる。その先に、2.5級と言われているぶた小屋の瀬がやってくる。なんでぶた小屋の瀬と呼ばれるかというと、左岸の山の中腹に豚舎があるからだそうだが、見ると確かにそれらしい建物が見えた。

よし、ここは心を引き締めてと漕ぎ入ったが、確かに流れが細くなっているだけに波にパワーがあるが、きわめて礼儀正しい真直ぐな瀬だった。確かにいっぱい水はかぶったが…。

しばしの静寂がやってきては、
また、しばし水をかぶる。
そして、また静寂がやってくると、そこに唯一のキャンプ適地ともいえる河原が見えてくる。とはいえ、ここもそれほど大きな河原でもない。しかし、野趣あふれるいい所だ。きのうのキャンプ地よりは、数段にいい。

21キロ地点、石積みのヤナに注意しろと聞いていたところにやってきた。さて、一体なにがあるのだろうと思いきや、なんと川が行き止まりになっている? ような錯覚に捕われた。人工の河原が造成されていて、たしかに巨大なヤナになっている。かろうじて右岸際があけられており、そこを通って下流へ進むことになる。
ここを過ぎると、もう都賀大橋である。ここには、右岸に酒屋らしい店、左岸に農協のスーパーがある。私の場合、左岸の橋の手前に上陸 (11:15)。ちょうど階段があるので、そこから地上に昇った。上から、上流をふりかえると、先ほどの巨大なヤナの全貌が見える。こりゃ、凄い。一体、 あの巨大なヤナは、どんな使い方をするのだろうか。それとも何かの治水施設なんだろうか。私には分からない。
農協のスーパーに入るとちょうど午前の買い物の時間で近所の人たちに混じっての買い出しとなった。思った以上に、食材が豊富で、たいがいのモノは 揃っている。氷もあるし、酒もあるし、カップ麺もある。ただ痛風リハビリ中の身としては、さすがにビールには手がのびず、缶酎ハイと、はるさめヌードルと いう、かってない謙虚な昼食となった。
いい天気なわりに暑くもなく、なんとも長閑な昼下がり。このまま昼寝でもしたいぐらいなのだが、この辺はやっぱり集落の中だけあって、川もそれほど 美しくはない。どちらかというと富栄養化特有のいやなにおいがしている。さて、12:30、出艇しますか、噂に聞く「荷越せの瀬」に向かって。

で、早速、瀬音が聞こえてきた。川からだと、状態がよく分からない。ずいぶん長く波立っているように見えるが、これが、にこせの瀬なのであろうか。ちょうどコンクリート河岸を昇っていけるところに艇が着けることができたので、上から偵察してみることにした。
かなり長い瀬である。しかし、なんとかクリアできそうだ。遠くまでみはるかして、GOの判断をくだした。
何てことない、心地よい瀬である。たいしたことはない。まぁ、他の箇所でも2級の瀬といわれていても、意外に素直だったし、こんなもんなんでしょう。「せっかくヘルメットを用意してきたが、結局使わずに済んでしまったのは残念だなぁ」とか思っていた私が、そこにいた。
しかし、かつてもこんな暴言を吐いてエライ目にあったことがありましたわなぁ。確か。あれは、そうそう球磨川の「二股の瀬」の時だった。手前の偽者の瀬に騙されたんじゃなかったかしら…。
性懲りもないアホ。わしゃ、もう情けないわ。自分のことながら。
そして13:00、次の瀬音が聞こえてきた。

これぞ江の川、にこせの瀬。轟沈は痛そうだぞぉ。

へへーぇ、御代官様、先ほどの暴言は、どうぞ聞かなかったことにしてくだされ~。さすが噂の難所「荷越せの瀬」おそろしゅうございます。ちゃんとヘルメットも持ってきております。もともとは殊勝な輩でございます。ので、どうか、ひとつ宜しゅうに通らせてくださいませ~。ひらにひらにぃ。
下の写真でいえば、一番左手奥の河原にのりつけ、そこからボテボテと不安定なゴロタ石を踏みしめながら10分歩くと、写真1/3ぐらいの所にある上写真の最初の入り口の瀬に行き着ける。左足親指の根元・通風発作箇所はもうすでに悲鳴をあげているが、ここばかりは、偵察なしには下れません。すごい落ち込みでございます。しかも、進入ルートの確証がどうしても判断つきません。

落ち込みを越えたあとは、下の写真のように長い瀬がずっと先まで続いている。

さて、心拍数は、どんどん上がって参りましたよ。さあ、どないすんねん。これ。
相当悩みました。あっちの岩に昇って確かめ、ちょいと、緩い流れを渡って違う角度から確かめ、目をこらす。流れを読もうとずっとしゃがみ込む。15分ぐらいかけて出した結論は、…。分からん。
エントリールートが分からんのです。あの瀬に突っ込むのは仕方がない。そういう瀬なのだから、覚悟しましょう。ただ、どこから入っていったらいいかが分からない。というのは、1番うえの写真を見てくだされ。エントリーは2ルートしかないのですが、そのどちらも、途中に岩が多すぎて航路がとれない。
どっかできっと、岩にひっかかる。水面下の岩のことも考えると、ひっかからないルートを通るのは、本当に、スカイウォーカー的なフォースが必要であります。で、片や私。コンディションが、悪いのは最前より申し上げている通りです。
船まで、ボテボテと歩きながら、「あっ、今回傷害保険に入ってくるの、忘れたなぁ、しまったわい………」であります。右岸ルートからS字を描いてのエントリーは、あまりにもファルト2人艇には現実的ではない操舵が求められる。左岸ルートは、あれだけ岩が見えているということは、隠れ岩もあるということ。それができるかぎり避けられるかがカギになる。
まずは、ファルホークの軟弱コックピットカバーの流失対策。アンド、ヘルメット装着。持ってきといてよかったですわー。ヘルメット。まさか使うとは思っていなかったけど…。
さて、行きますか。
随分手前に停泊していましたから、瀬までは、考える時間がしばらくあります。「ほんま、それでええんか。案外、右ルートが本命とちゃうのん?」「いやいや、シンプルな考え方が一番。奇策は所詮奇策でござる。」「なんのなんのカンベェ殿、ここは、意表をついて一気に天下取りを目指しなさいませ。」とか、雑音がいっぱい頭の中に流れ出す。
左ルートを、そろりと行く。浅い。瀬の口まで行けるか?
さぁ、瀬が見えた。いよいよ突入だ。こうなったら、無の気持ち。
のはずだった。あたたたたたたたたたたたー。隠れ岩だよ。乗り上げた。
できれば、ここで写真を撮りたかった。なかなかに迫力のある、ニコセの瀬の写真が撮れたはずである。ぼかりと、中央部に沈んだあとに浮かび上がる美しい三角波。
でも、あなた、そんなの撮れるわけないでしょ。その手前数メートルで痛恨の乗り上げですよ。この沈脱は、きっと痛いですよぉ。海部川の時みたいに、前にテトラがあるわけじゃない。だから、超最低な結果にはならないにしても、全身打撲は避けられないでスよね。ヘルメットをかぶってるから、頭は何とかなったとしても、そのあと、どうしたらいいんだろ。まずいっすよねぇ。
またも、パドルを一生懸命、差す、差す。流れ以上の力で、差す。差す。差す。差す。
やがて、岩を越える感触がした。いまだ。平行を保つように漕ぐ。一瞬ののちに、瀬に入る。ズシャーンっ。ありがたい、本流に乗っているから、操作しなくても前に押し出されていく。
長い2級の瀬が続くが、それほど問題があるわけでもない。有り難いかな入ってもいない傷害保険を使う機会は去った。ニコセの瀬を越えた。

これは、難所です。このあたりは上の流れと下の流れと、完全に分かれていて、まるでイグアスの滝のようにずっと段差が続いているような感じ。右岸側の一段高い流れから、水がざぁざぁと流れ落ちてきている。これは少々、奇異な光景です。で要は、その中で、唯一船が通せるのが先ほどの瀬ということらしい。
この瀬をどう形容したらいいんだろう。(ここだけの話し、こわかった。)
この名物、ニコセの瀬を過ぎると、あとは、素直な長い瀬がふたつ。これにて、イベントは終了。
ゴール地点の松原が見えてくる。オレンジ色の橋の手前の広大な河原。これが終着点だ。これより向こうは、ダムのバックウォーターになるらしい。何やら瀬音はしているが、おそらくは、あの橋の手前当たりに瀬があるのだろう。でも、それより先には上陸ポイントが見つけにくいと聞いている。
15:00、松原の右岸に上陸。川旅は終わった。

この河原、相当広い故、流木などの薪にはことかかないのは有り難い。一人きりのツアーとなると、せめて、たき火でもないと話し相手がいないのは御存じの通り。せっせ、せっせと薪集めをする。
というのも、上流デポ車を取りにいくにも、交通機関は、例の代替バスのみ。次は、17:06出発の予定なのだった。
でもこの時期、午後6時半には日暮れがやってくる。上流にバスで30分遡って、30分で車で下ってきたとして、オンタイムで日暮れギリギリだ。いわば、サイトを完璧に完成させて、帰ってきたら、おもむろにランタンを点灯という塩梅にまでしておかなければならない。
石見松原駅は、車道のさらに上の高架に駅が築かれている。代替バスの案内は駅に貼ってあるとのことだったので昇って見に行ってみると、バス停車場所が変わりましたという紙が貼ってあった。が、これがどうも分かりにくい地図で、なんでもっとシンプルに分かりやすく書けないのかなぁとぼやきつつ、その場所に行ってみると、また、これがなんでこんなとこに停車場をもってくるのかなぁという狭い場所。もともとの路肩が広がった所の方がいいのにと思いながら、しばし待つ。
来ない。17:15、まだ来ない。なんか、いやな感じがしてきたので、道を遡って、両方のバス停がみわたせる場所に立ってしばし待つ。
来た。マイクロバスが、案の定、案内とは違う場所に止まった。あそこで、下車して、こっちで乗車なんてことをするような感じではない。「乗ります。乗ります。」と手を振りながら走ることとなった。ああ、足が痛い。
17:25、出発。バスは、ほぼ満席。学生がほとんど。通学の足になっている大切な交通機関なのであった。
で、途中の駅をめぐりながらの遡行となるから、当然時間がかかる。駅は必ずしも川の近くにあるわけではない。香淀駅に着いたのはもう6時をとうに過ぎていた。車のデポ地点は、1キロ以上ある。さあ、またランである。走れ痛風メロメロっす、夕暮れはもうそこまで来ているぞ。
なんとか足は、もってくれた。十分ののち車に到着。息を整える暇もなく、出発。下流へととってかえすが、とうとう途中で陽が落ちた。夜になると、田舎は目印が極端に減ってしまう。出艇地点から松原まではおよそ26キロ。地上の道ではトンネルといったショートカットを考えると25キロか24キロか23キロか、まぁ、どんなものだろう。
松原に近付いたところで、一車線規制のところがあったこと。偽のバス停の近くに小さくだが「石見松原」と書いた標識が右手に立っていたこと。それを過ぎるとすぐに廃屋のような家があり、その少し先に川に降りていく細道が来ていること。それだけしかヒントはなし。
なんとか、道を見のがさずに曲がることができた。曲がると、ヘッドライトは、大きな墓石を映し出した。「ああそういえば、墓があった。あった。」この道だ。
暗闇の中キャンプサイトの横へ車で乗り付ける。7時。すぐさま、ランタンと焚火に点灯。夜が始まった。


明けて29日。江ノ川の朝は、早い。5時半、ジャラジャラジャラと車が河原に入ってきた。テントから這い出ると、仕掛け置き場のところに軽トラが止まっている。あたりを見渡すと、ウェットを着たおじさんが川の中の仕掛けをはずしているところだった。
仕掛けを懸ける鉄柵に、引き上げた網をひとつずつ引っ掛けていく。そして、カーテンを繰るようにして網を開いていき、かかっている鮎を一匹ずつ手で、はずしていくのだ。なるほど、こうやって使うのか。干してあるのは見たことがあったが、実際に魚をはずしていく様は初めて見た。
「随分、かかりましたか?」と尋ねると、「まあまあかのぉ。もうちょっと水が出てくれると、かかりもええんじゃが。」「卵だいとるのが、こんだけしかおらん。この黒いのは、もうあかん。ガサガサになりようがのう、これは産卵を終えたやつで、食うても旨ぅない。」「精子を出した雄もそうよ。この手にドロッとついとるじゃろ、黄色いのんが。これが鮎の精液やの」といろいろ教えて下さった。なるほど、黒い鮎と、艶のある鮎はすぐに見分けがつく。魚の精液というのも、こんなに粘性があるとは知らなかった。動物とたいして変わらないのだった。 さて、ところで、次から次へと、車がやってくる。どうやら、ここは、鮎釣り師のポイントでもあるようなのだ。ただ、この河原は注意が必要。だめだよ。普通のセダンで、こんなとこに降りてきちゃ。
★★ここでワンポイント情報★★
石見松原のこの河原は、さらさらの砂地があったり、しゃりしゃりの砂利でできていたりする。それを越えたら、ゴロタ石。つまり、普通の車が来る所ではない。スタッグ続出。見るに見かねて、宿敵である鮎釣り師の車であるにも関わらず、その救出にも協力することになってしまった。この河原、四駆以外は、まず入らない方がいい。用心めされよ。★
天気がいいので、船の乾きも順調。昼前には、すべて出発準備を終え、帰途についた。途中、荷越せの瀬を見下ろす道の駅で土産物を物色するが、あまり土産らしい土産がない。出雲蕎麦と二瓶蕎麦がならんでおり、どっちにしようか悩んでいると、出雲蕎麦の方が美味しいよ、と店のおばさん。そんなにおすすめならばと、そちらをいくつか買い込む。いまとなっては両方買っておけば良かったと思うのだが、(だって、この道の駅は県境のすぐ島根県側にある。そりゃぁ、出雲の方をすすめるよなぁ)結果はどうだったのだろう。
とかあれこれ思いつつ、ひるめしは、また、広島であの和歌山ラーメン・ばり口馬ラーメンをすすっているのであった。

2006年9月27日
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