河口堰がなかりし日の吉野川

いつか、そういって懐かしむ日がやってくるのだろうか。できうれば、建設を阻止したいものだが、こればっかりは地元が決める問題だからどうしようもない。ただ旅の途中であった人たちから、新しい堰が必要だなんて言葉は一言たりも出なかった。これだけは事実である。この国のシステムがいかにデタラメかということだろう。

DATE天候区間
1998/4/11晴れ三好大橋-江口
1998/4/12晴れのち曇り江口-貞光
水質★★++川沿いに生活がある。これぐらいの濁りは仕方がないか。
水量★★★前週の慈雨が影響して、水量が回復したとのこと。

いい加減ストレスが溜まっていた。季節的にはまだ少し早いかも知れない。桜がつい先だって散ったばかりではあった。しかし漂泊の思いはもう抑えようがなかった。川の水が冷たかろうが何だろうが、私は行くのである。と、とにかく川へと逃げ出した次第であった。

天はわれに味方した。暖かいのである。なんでも6月上旬の陽気というではないか。しかも二三日前まで淑やかな慈雨が続いていた。だいたい水量が少なくて、ライニングの連続になる川相だと聞いていたが、結局一度も曳かずに済むことにもなる。

祝、明石海峡大橋開通。とはいえ、これは何だか神への冒涜とも思えるほどの巨大さだ。使っておいて言うのも変だが、でもこれはつくらない方が良かったのかも知れない。

折しも明石海峡大橋が 開通。関西からのアクセスは驚異的に楽になった。神戸を出たのが7:00。30分後には淡路島にいた。8:30には四国にいた。10:00には吉野川中流 穴吹橋の下流の河原に入り込み、車をデポしていた。なんという早さ。出発予定地点の三好大橋をやり過ごし、池田ダムの上流5キロほど上ったところにあるめし屋に到着したのが11:15。営業は30分からということなので隣のコンビニでH雑誌をめくりながら時間をつぶした。

★★ここでワンポイントのいい加減情報★★

この食堂、かって仁淀川へ行ったときに立ち寄った所なのだが、ちょうど吉野川が見下ろせるところに建っていて、なかなか眺めがいい。長い串に刺 したおでんもなかなか捨て難く、またの来訪となってしまった。(店の名前は忘れてしまいました。ごめんなさい。池田大橋を渡って、大歩危小歩危方面へ向か うこと3キロ弱。カーブの続く山道に入って少し行くと、なぜか突然マンションが見えてくる。それを過ぎてすぐのところにある店です。となりがコンビニ。) また、ついでにここで名物「祖谷そば」を手に入れるといい。河原で食べると旨いぞ。これが。★

結局いつものペースでうだうだ食事をすると早くも13:00。とって返して出艇ポイントの三好大橋へ向かい、あたふたと舟を組み立て荷物を詰め込むと14:30。日暮れまでに残された時間は、測ったようにいつもと変わらない程度になっているのだった。艇は、なんとなく流れに乗り、そしてなんとなく三好大橋の下へ吸い込まれていった。

出艇は、いつも慌ただしくあっけない。厳かな出艇とやらを一度やってみたいものだが。

橋を過ぎるといきなり瀬がやってくる。河原におされて川幅が急に狭くなっており、見るからに美しい三角波がたっている。まずはしょっぱな、歓迎の瀬と いったところか。この瀬、「土木会社の瀬」と呼ばれるらしいのだが、広大な河原の果てに何やら倉庫のようなものがそれであろうか。しかしながら、その名と は似つかぬほどの素直ないい瀬。緩やかにカーブを描いて流れている。入り口にある岩に注意して、あとは右岸に寄りすぎることさえなければ、問題はない。

瀬は早速やってきた。結構心地よい大きさだぞ。

あともう一度、瀬らしい瀬がやってくるが、これとて素直な流れ。波に負けないように強く漕ぐべし。である。吉野川は、この中流部となると、上流の大歩危小 歩危とは全く趣を異にするおおらかな川となる。ファルトに適した川相といえばその通りであるが、変化がなくてちょっと退屈ぎみかも知れない。川添いに町や 村があるから、思わず泳ぎたくなるほどのキレイさとは行かない。

特に美しいとは言えないが、これだけの民家の中を流れる川である。いたしかたない。

流れ込みも美しそうに見えてはいるがなんらかの排水かも知れないと思えてしまう。

上の方に民家があるようなので…。

そこのところが、少し残念である。

残念といえばこれもそう。鉄橋の向こうに見えるのが、目下建設中の高速道路。川に架かっていく巨大な橋は、下から見るとますますもって、ふんぞり返って見える。公共事業の正体が透けて見える瞬間だ。

唯一変化があるとしたら、ここ。吊り橋を過ぎると、

美濃田大橋

やがて、大きな岩が迷路のように川中に立つ「奇岩の森」 がやってくる。瀞場にもなっているので休憩ポイントになる。ちょうど魚たちの絶好の住処になっているらしく、魚影を追いかけて子どもたちが岩の上で騒いで いる。すぐ脇にキャンプ場があり、そこから川辺に降りてこられるのだ。近づいて何が釣れるのか確かめようとしたそのとき、「でっけえブラックバス!」という声が聞こえた。嗚呼、また誰かが、遊びのために生態系を変えようとしている。たちまち浮かない顔に戻ってしまったパドラー約1名。憩うことなく、そそくさと、その場を後にした。

迷路とは、大袈裟であるが、行けば必ず寄りついて遊びたくなる。そんなポイント。

川幅がグッと広がったところで、風は向かい風に変わった。 天気晴朗なれども、風強し。すべてがお誂え向きとはいかないもの。ここよりガマンのパドリングが始まった。春の四時。それは、日暮れにのろのろと近づいて いく時間。永遠に漕ぎ続けねばならないような錯覚さえ覚える。しかし、かなたに蜃気楼とまがう橋の姿。理性は「あれを過ぎる頃、きょうが終わるであろ う。」ことを知る。川の流れの先には、未来の時刻が見えているのである。

はるかかなたに、きょうのキャンプ予定地がある。向かい風の中、なかなか進まない。

やがて、待ち人たる宵闇は、河口の方から遡ってきた。この辺り吉野川は、真東に向いて流れているのだ。そろそろキャンプサイトを探さなくてはならな い。艇は、角の浦潜水橋にさしかかっていた。しかし、この辺にきて頃合の河原が見つからない。平らなところが見つからない。石がゴロゴロしている。とても テントが張れたものじゃない。さらに30分ほど、川面をさすらうこととなった。

もうすぐ江口というところで、左岸から流れ込み。その先に川船の船着き場のような箇所があった。車が入り込んでくるらしく、轍の跡があってその辺り だけが平らになっている。これ幸いとテントサイトにさせていただくことにした。5:30上陸。テントを張り薪拾いを済ませると、待っていたかのように日は しめやかに暮れていった。

翌日も快晴。陽が昇るとTシャツ一枚でいい暖かさ。気持ちのいい川縁の時間が過ぎていく。すると、どこからともなく現れた川漁師さんが話しかけてき た。どこから来なすった?大阪から。明石海峡を越えて?橋が通ったから近くなりましたね。たった3時間で来ますよ。季節がようなってまたこれからどっと人 がやって来るのお。あの山ではパラグライダーをやりに来よる。へえ、そうなんですか。釣りも来るが、鮎はめっきり少ないの。天然ですよね?ああ、海までこ の川はつながっとるからの。でも少ない。水がこんなんやでなぁ。水も少ないし。あの岩の線のところまで水はあったもんやが。ほお。そんでも今日はまだある 方や。そうなんですか。普段そこの流れ込みにはめったに水がないでな。昔は川やったが。

ぼちぼちと荷物を片づけると10:00。土地の人の話によれば2時間もあれば着くはずの穴吹めざして出艇したのだった。

田舎に住んでいると、距離感や時間感覚が何となく曖昧になっていくのだろうか。まあ、そんなことに厳密になる必要もないということなのかも知れない が。というのも、土地の人に教えてもらった話に、ときどき情報の精度として著しくクエスチョンマークが付くときがあるからだ。まずは、距離。あまりの暑さ にビールが欲しくなって、早速途中上陸したときのことである。たしかこの辺、いやちょっと行きすぎたかも知れないが、ともかく酒屋があったはず。実は、車で遡ったときにチェックしておいたのだ。なんとか道まで這い登り、そこにあった果物店で酒屋の場所を聞いてみた。すると「ここから2キロほど上にある」と いう。2キロというと歩いて25分である。当然諦めることとなったのだが、上の車をピックアップするときに改めて計測してみたら、わずか600メートルしかないのであった。

そして次は、時間。東三好橋の袂での、その川漁師さんとの会話。これから穴吹まで下ると言うと、「いつもおかあちゃんの自転車で穴吹まで行っている が、30分ぐらいだ」という。ここからだと、もう目と鼻の先だという感じだった。ところが漕いでも漕いでも、穴吹までたどり着けない。結局われわれは途中 の貞光で リタイヤ。電車でデポした車を取りに行くことになったのだが、これも実計測してみると、20キロはある。「20キロの距離をママチャリで30分?」。時速40キロのママチャリを想像してみるといい。んなワケがないのである。ことほど左様に、地球のある一部でも時間は一定ではなかったりするのだ。ご存じでし た?アインシュタイン殿。

道の駅、貞光。川からはサイロのような建物が見える。

一応、我々は努力した。かなり一生懸命に漕いだ。貞光で上陸したのだって、正午のサイレンが聞こえてきたため、それじゃぁ、まぁ道の駅ででも食事をとろうという理由であった。しかし、冷静に地図を見てみると本日の行程の半分しか来ていない。このままだと穴吹にはどんなに急いでも3時半。車を取りに行ったり していると、撤収は6時近くになる。

道の駅の案内係の人に聞くと、貞光から穴吹まで列車で30分くらいだという。(実際に乗ってみると、これまたたったの10分ではあったが。)いまか らなら、2時には穴吹に辿りつける計算だ。日記には、穴吹まで行ったと書いておけばいいではないか。そうだ。そうだ。ということで、結局、我々は、すっか り瀞場と化した吉野川におそれをなして、つまり、その、ツーリング放棄。突然、旅は打ち切られたのだった。あーあ。

1998年4月18日


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