四年後にまた、この川を訪れる因果に恵まれることとなった。コースもまったく一緒。ただ今回は、ソロではなく、グループで下ることになったぐらいで ある。変わったところも少しあった。でも、変わっていないところもたくさんあった。相変わらず母なる川であるのは、確かだった。今度は、グループはグルー プでも、家族で来るからね。それまで、お元気で。約束だよ。元気でね、四万十川。


DATE | 天候 | 区間 |
2000/8/9 | 晴(夜雨) | 江川崎-口屋内 |
2000/8/10 | 晴 | 口屋内-川登 |
2000/8/11 | 晴 | 川登-中村 |
水質 | ★★★+ | 一週間前に大放流があったせいで、この時期珍しい美しさ。 |
水量 | ★★★+ | 腹はほとんど擦らない。そのかわり、瀬らしい瀬も少ない。 |

昨日9:20大阪南港を出航。そして高知港に着いたのは、6:30。人間の起きている時間ではないと思う人種には、やはり人間の起きている時間では ない。しかも、ほとんど眠れず徹夜となった日にゃぁ、朝の景色はことのほか黄色く見えるのである。ああ、旅情かきたてる憧れの二等船室。これぞバックパッ カーの正道とは思いつつも、いびき、ドンチャン騒ぎ、ラジカセのビート・サウンド、アベック、泥酔者の放尿・嘔吐、そして何より寝るスペースの不在。これ がフェリー行の現実であった。高知駅まで出て、帰路の情報を仕入れた後に8:00出発。ヘロヘロになりつつ、クルマで西土佐村を目指す。運転手でないだけ が幸運である。といっても、運転手はしきりに話しかけ、なかなか居眠りさせてくれないのであるが。江川崎までの3時間のドライブ、でも30分ぐらいは眠れ たようである。ありがとう、ドライバーのK君。30分しか寝かさせてくれなくて、とっても感謝しています。
三時間の予定であった。が、やっぱり三時間であった。どうだ、計画といい、景色といい、素晴らしいだろう。眠いけれど・・・。
四万十川は、あたりはずれのある川であるようだ。この川を下った知り合いの中でも、ある人は清流という。ある人は、たいしたことはないという。さら にある人は、その辺の川と変わらないとまで言う。コンディションにそうとうばらつきがある。幸いに、私の場合、二回とも清流の名にふさわしい表情を見せて くれた。むしろ今回の方が美しいぐらいだった。
窪川から、土佐大正、土佐昭和と川沿いの道を下降する。水量があり、日が燦々と照り、川はかすかに青みがかった水色の光を谷間に放っていた。噂に聞 く瀬たちも見える。あちらこちらであきらかに挑発しているかのような瀬が、その白い牙をむいている。以前来た時にあんな瀬は見あたらなかった。そりゃぁ、 ファルトでつっこめば、折れるわ、破れるわ、の大騒ぎであろう。実際、そういうスパルタンなファルターの話を聞かないでもないが、我々としては「それはま た、別の話」ということにしておきたい。いやーっ、凄い瀬だわ。ありゃぁ。
やがて、半家に到着。できればここから出発したいと思っていたのだが、河原に降りていく道がかなり急な坂である。今日のクルマは、ノーマルタイヤし
か履いていないので、スタックが心配。悩んだ結果、諦めることとした。ただし、ここからの出艇自体は十分に可能である。駅から近いし、駅前に駐車スペースもある。
次の江川崎で、預けておいた荷物を取りに山村ヘルスセンターへ向かう。ここで、ついでに食事。何やら団体さんの弁当づくりが入ったようで、レストラ ンは臨時休業だったようだが、同じメニューでいいならば・・・ということで即席で定食を作ってくださった。さらに遠慮無く生ビールもオーダーしたところ、 運悪く炭酸切れ。ボンベの交換までさせてしまった。その節はホントごめんなさいね、名も知らないキレイな娘さん。あなたに幸あらんことを。
★★ここでワンポイント情報★★
山村ヘルスセンターは、川の左岸カヌー館のある丘の上にある保養施設である。カヌー館では荷物を預かってくれないため、ボートを先に送っておく となるとココになる。1個300円で保管しておいてくれる。(ただし置くスペースが限られているので、予め確認のこと。それから川からは遠く、急な坂道を 登らなくてはならない。現地での移動手段を確保しない限り、地獄を見ることになるのでご用心。)。高知県幡多郡西土佐村用井1110-3。 TEL.0880-52-1362。★
出艇は広見川の河原からとなった。300メートルほど下手の前回出艇となった降り口には、相変わらず氷の自動販売機があったが、どうせなら違う場所 からということで、ここにあいなった。灼熱の中で艇を組み立てる。ときどきは川の中に飛び込まないと、とてもとてもやってらんない。日射病になる。作業効 率も意識も低下の一方を辿った。すぐ目の前の川底には、かなり大きな動物の白骨が散乱していて、それも気にはなるのであるが、あまり深く考えられない。 ボーッと脳天が熱い。犬?いやもっとでかいぞ。牛?いやそこまでは大きくない。しかし立派な直径3センチぐらいの脊髄らしきものがたくさん認められる。 うーむ?横にいたK君を呼んで、検討した結果、これは「キリン」ということにしよう、となった。きっとボクらが知らないだけで、高知にはキリンがたくさん 生息していて、子キリンが川に落ちたのだ。きっとそうだ。それ以上は追求しないこと。あとは、誰か違う人の仕事か、全く問題ないかのどちらかである。ということで早々に出艇。でも結局は1時50分。いつも通りの予定オーバーである。
水は美しい。遠くまで来た甲斐があったというものだ。西土佐大橋の下にはさっそく3級ぐらいの大きな瀬が立っていたが、地元の子どもたちであろう か、体ひとつでその瀬に突っ込んでいって遊んでいる。下見するのもばからしくなるほどお気楽な瀬となっていた。たぶん水量が多いのである。だから岩を気に しなくていいようになっている。今回のツアーを通して、ライニングや、下見はゼロ。腹を擦ったのも浅瀬に迷い込んだときの一回だけ。前回とは全く様子が違う。極楽ツーリングだ。

四年前の景色を思い出しながら漕いでいく。ああ、この橋もあった、あの店もあった。 と行く内に、見知らぬ巨大な斜張橋が現れた。これだったのか、あのとき造っていた巨大な構造物は。月日というのは確実に流れ、確実にかってなかった存在を作り出していく。それは仕方がないことである。懐かしさとは、たまたまその定めから免れたものへの苦笑いに似た労いに過ぎないのかも知れない。
下見をしないで済むツーリングは速い。3時間で、今日の目的地・口屋内が見えてきた。ちーと手前の河原で流木集め。今宵の薪をデッキに載せて、沈下 橋前の瀬に突入した。が、やっぱり瀬というほどの緊張感はない。波打つ川面を通過したというような感覚で、到着。景色は何一つ変わらぬ口屋内であった。
★★ここでワンポイント情報★★
口屋内は、見た目には何にも変化していなかったが、ちょっとずつ進歩というか、変化が押し寄せていた。
その1、前にもお世話になった沈下橋左岸の集落にある商店、新製品!?氷結ペットボトル・ドリンクを販売していた。これは、夏の川旅には便利で ある。朝に買い込めば、昼ぐらいまでは十分冷たい飲み物に恵まれるのである。そういえば、ペットボトルがここまで普及したのは最近なんだなぁと、ふと思っ た。四年前には、ミニペットボトルは、日本では認可されていなかったはずだ。それに、水を買うという発想さえも田舎の方ではまだまだなかった。以前来たと きにウォータータンクを持っていって、このおカミさんの家の前で水を汲ませてもらった記憶がある。ところが、いまや六甲のおいしい水や、太平洋の深層水が この店にも置いてあり、しかもフリーザーの中で凍っているのである。
その2、野田知佑氏のサイン入り帽子(1200円だったと思う)がどうしても欲しい人は、このお店でゲットできる。手長エビ漁用の仕掛け筒もゲットできる。なんだったら地方発送も可能である。
その3、この近所のどこかにバーベキューのケータリング・サービスがあるようなのである。近くにサイトをつくっていたキャンパーのもとに、やに わにあらわれた軽自動車。ハッチバックを開けると、バーベキューコンロ・炭・ステンレスのバットに敷き詰められ塩で埋められた鮎・骨付きカルビ・エトセト ラエトセトラ・・・。用具・食料がこぞってご到着なのである。最初は、身内の差し入れかと思っていたが、どうも商売である。クルマに店の名前と電話番号が 書いてあったが、あまりのことにボーゼンとして、記録できなかった。★
夜は、更けていく。チロチロと小さな焚き火の炎とともに。満天の星の中には、いくつかの流れ星を見た。一方で、肉の焼ける立派なバーベキューの匂い が漂ってくるが、男たるものは、そんなことに惑わされてはならないのである。あとは、酒で紛らす。それが正しいやせ我慢の姿なのである。

10日。朝から、ニューヨーク・タイム。ライジャケを着込んで、ジャブジャブと突入していく。薄緑色の水の中で、ゴリたちが行き交う。いつか見た映 像そのままである。いよいよ出発ということで、冷たいものを仕入れに再度おカミさんの店に行くと、是非、黒尊川へ行かれよとのこと。四万十川に流れ込む支 流の中でも別格の美しさを持つことは、噂には聞いていた。しかし、ファルトで行けるような水深のある川でもないので、どうしようかと思っていたのである。
おカミさん曰く。四万十川との合流から2~300メートルも行くと、橋があって、その辺が絶好の川遊びポイントだとのこと。淵もあって泳ぐにはもっ てこい。しかも、手長エビだっていくらでもいるという。じゃあ、行かなアカンでしょ。歩いて、遡行しました。でも、その甲斐は十分でした。「おカミさん、 ウソつかない」。それは確か。ここは行かなソンでしょう。
黒尊川、この透明度は、レベルを越えています。手長エビ、ほんとにいっぱいいました。タモさえ持っていれば十匹ぐらいはすぐ捕まえられたに違いない。しかし、手にあるのは残念ながらカメラだけ。しかもレンズ内が曇っている。ありゃりゃ、こりゃまずいぞ。
とうとうここで、我が愛しきカメラとは、永久の別れとなった。思い返せば十年以上も昔のこと、新婚旅行の際にハワイの荒波に先々代のカメラが壊滅し た折りにわざわざカラカウア通りのカメラショップで買った日本製のオールウェザーカメラ。それが、我が旅の友だった。雨や、沈によく耐えてくれた。とはい えこの日はいつかは来るもの。いざ、さらば。ただ君が清流・黒尊川で、最期を遂げたことは、いつまでも覚えていると思う。
こんな美しい川なら、一日中でも遊んでいたい。とうとう正午のサイレンが鳴ってしまった。黒尊川と四万十川の合流する中州で昼飯。対岸には、まだお カミさんの店が見えている。まあ、キャンプ予定地の川登まで、昨日のペースで漕げばそれほど時間もかかるまい。のんびりとした出発。13時を回っていた。
さすが、夏休みだけあって子供達の姿があちこちにある。カヌー教室で思い思いにパドルをふりかざす子供達。泳いだり崖をよじ登ったりして探検ごっこ をする男の子たち。そして、沈下橋から飛び込む決心がつかずに何度も何度も助走だけを繰り返す女の子たち。結局一緒に飛び込もうということになったようだ が、裏切りが発生。正直者の一人だけが、見事にボッチャン。でも、きっと彼女がいちばん楽しい思い出をつくったと思うよ。
遠くに川登大橋が見えた。そろそろいつかの直角の瀬がやってくるはずだ。あわや正面の岩壁にぶつかりそうになったあの瀬。きょうはどんな姿をしてい るんだろう。そう思っているとかすかな瀬音が聞こえてきた。あそこだあそこだ。流れが集まって岩壁にぶつかっている。気を引き締めて突入する。すぐに左に 逃げられる用意をしながら・・・。
が、なんだ?あれ?全然問題ないじゃないか。たしかに岸壁に向かってはいく。が、ひと掻き漕ぐだけで艇は方向を変え、岸壁をなめるようにして進んで いった。水量が多すぎて水が押し戻されているのだ。その流れにのって、艇は滑っていったのだった。その先に大きな淵、あちこちにボイルができている。あの 時ようなの静かな淵ではなく、賑やかなエディーになっていた。
4:00、今回は川登大橋を越えずに、その手前を左岸に接岸。キャンプ・サイトを反対側に定めた。というのも、川登の村落へは、こちらの方がはるか に近いからだ。どうやら、道も通っている。ただ、河原はほとんどフラット。増水の際にはほとんどが水がついてしまうであろう高さ、それが気になると言えば 気になる。ただ、天気は相当に良さそうなのでココに決めることとした。
★★ここでワンポイント情報★★
四年ぶりの村は、どこか様子が違っていた。勇躍買い出しに出たものの、あったはずの雑貨屋さんが、ない。忽然と消えている。魚屋はあった。鰹の たたきにはありつけなかったが、カツオとヨコワの刺身を手に入れることはできた。それぞれ一人前は500円。ビールを冷やす程度の氷もわけてもらえた。し かし、ブロック氷は最早売っていなかった。それと、旅人に対する接し方が少し変わっていた。どことなく迷惑そうに感じられた。気のせいならいいのだが、何 かあったような気がしてならない。
夕方、焚き火の用意をしていると、ボートが川面をあちらこちらと旋回し仕掛けを張っていった。火振り漁の準備だろうか。以前来たときには、深夜遡行 してくるボートに起こされ、何事かと思ったものだが、それが光で鮎を追い込むこの地方独特の漁だということは、結局ずっと後になってから知った。
燃えるような夕焼けが過ぎると、しっとりと闇は降りてきた。星空がきれいな夜だった。河原に寝っころがって見上げていると、いままで見た中でもひときわ立派な流れ星が宙を横切っていった。昨年の獅子座流星群よりも、はるかに存在感のある、名もなき流れ星だった。

11日。6時起床。夜露が強く降りたようだが、天気自体は良さそうだ。太陽が出るのを待ちわびる。今日はできるだけ早く、中村に着きたいのである。 できれば昼までに。そして早々に撤収。それぞれの次の予定(阿波踊りだったり、墓参りだったり、盆休みの旅行は大変だよ)に向けて行動を起こしたいので あった。無理だろうけど・・・。
が、所詮は無理と思っていたのだが、なんと朝の8時に出艇という快挙を遂にうちたてたのだった。なぁんだ、やればできるじゃない。やらないからできないのだということが発覚した、記念すべき日であった。
結論から言うと、朝の川は気持ちがいい。まだ川も眠りから覚めたばかりで、清冽な静けさを保っている。ひと掻きひと掻きのパドルの音も、実に透き 通って聞こえる。こんな気持ちが味わえるなら、早起きして、サイト撤収を無理矢理するのもいいかも知れない。余った時間は、違うところで余裕を持たせれば いいのでアル。
三里を過ぎると、騒音が激しくなる。採石場と、セメント工場だ。あの時の山はまだ残っていた。四年やそこらであの山は消えなかったのだ。でも、それほど大きな山を消そうとしている。その事実は現在進行形としていまも続いている。

遠くの山のてっぺんに電波塔らしき鉄塔が建っている。あの山の対岸が中村だ。旅は終わろうとしていた。

いかんいかん勿体ない、もう一度ニューヨークタイム。コックピットから出て、もんどり返りをうって水の中に飛び込んだ。下流とはいえ、まだまだ沈するのが気持ちいい水質の場所がある。
艇のスターンにコアラのようにしがみつきながら、四万十川の空を見上げつつ、川面の上、僅か数センチにしか存在しない川の静寂の音を聞いていた。それは、夏が過ぎ去っていく音、休暇が過ぎ去っていく音、人生が過ぎ去っていく音でもあった。
水が多いと、四万十川はこんなにも速く下れてしまう。頑張ればこの行程を一泊で行くことも可能だろう。漕いでいた時間は、全部で10時間といったところだ。
いよいよ中村。屋形船乗り場で水浴びする若い学生たちが手を振っている。もしかすると彼らは、ファルトを所有することになるだろう。この川で遊び、流れてきたファルトに羨望を抱いた輩が、どうしてこの道に入らない道理があるというのだ。
赤い橋は、四万十川橋。その手前に最後の瀬がやってくる。艇のスキンを通して、この川の最後の鼓動を足に感じる。波打っている。生きている。どっこい生きている。
接岸。11:30だった。
★★ここでワンポイント情報★★
前回にも、ご紹介した割烹「より道」。ここで、お目当ての天然ウナギをいよいよゲットした。季節的なものなのだろうか(土用の丑が近かったせい かも)、予約もなしにオーダーが通ってしまった。天然鰻丼肝吸い付、時価で3000円なり。旨い。ウナギって、こんな食感だったのかとビックリさせられ る。プリプリというか、パツパツというか、ムチムチというか、このしっかりした歯ごたえ、生まれてこのかた初めてだった。★

2000年8月9日
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