またも低温注意報なのである。地元の人によると20年来の寒さだという。ちよっと待った。3年前の釧路も20年来の寒さと聞いたのではなかったかし ら。「いいえ3年前は、帯広は暑かったですよ」。え、ってことは何でい。私たちだけが寒い所をわたり漕いでいるっつーわけでやすかい?こいつぁ、冗談じゃ ねぇってんだ(あまりの憤懣やる方なさに、江戸言葉になってしまったではないか)。憧れ続けた日本一の清流。何てったって、飛行機代往復81000円也っ てやつでぇ、べらんめぇが。こんちくしょー(あ、またまた失礼)。とうとう、太陽が川底を射たときのあの透明な輝きを見ることもなしに、漕ぎ終えてしまっ た。ああ、21世紀の初漕ぎだったのに。正真正銘の清流だったのに。

DATE | 天候 | 区間 |
2001/8/8 | 曇り、夜小雨 | 坂下ダム-坂下仙境 |
2001/8/9 | 曇り、夜小雨 | 坂下仙境-大樹町芽武 |
2001/8/10 | 曇り時々晴れのち雨 | 大樹町芽武-河口 |
2001/8/11 | 曇りのち晴れ | 河口 |
水質 | ★★★★ | 日本一の清流。はい、確かに確認しました。 |
水量 | ★★ | もともと夏は少ない。が近頃は更に2~30cm減とのこと。 |

世の中には、符合というのがあるのだろう。別に何の気も無しに買ったのは、「虐げられた人びと」であった。理由と言えば、ドストぐらいは全巻読破し ておこうと思いながら、20が過ぎ、30が過ぎ、不惑が近づいた。ここでもう一度、道に戻ろうと思っただけである。すると、たまたま物語は、ペテルスブル グの寒々しい情景を描いていたのであった。
寒い。少女は靴下もはかずに穴の空いた靴を履いていたのである。それはそれは寒かろう。と同情していられるのは、飛行機の中だけであった。13時半、帯広に降り立つ。嫌な予感は的中した。
寒い。
しかし断固として、この運命に異議を唱えたい私としては、相変わらず靴下を履かずにサンダルをつっかけ、もちろん半袖のTシャツである。
が、抵抗したところでやっぱり寒い。
帯広は、今年異常気象のまっただ中。低温のため作物は育たず、川に魚は居ず、太陽はめったに顔を出さない。観光客も激減しているらしい。が、私たちは、ここに来た。何故か。ここに、歴舟川があるからである。
もちろん下調べはした。大樹町の観光課に聞いてみると、状況はきわめて良くない。「すみません、ごくろうさま」とまで言われてしまった。しかし、賭けてみたかったのである。楽観論者では決してないのであるが、良き日の歴舟の沙汰を聞くに、まさしく最後に残された川のようではないか・・・。
天気のことはさておき、しずしずと予定通りの行動が取られる。レンタカーを借りだし、ヤマト運輸の帯広南営業所留めにしてあるファルトを引き取りに行く。引き返して、大樹町へ。途中買い出しをしながら、いよいよ坂下ダムへと行き着く。

ダムとはいうものの、わずかに落差3メートルの堰堤に過ぎない。上流で雨が降れば、一気に暴れ川になる。それが歴舟川である。それが証拠に、この河原の流木の山を見ればいい。焚き火には嬉しいが、イコール危険への警鐘でもある。
この渓谷に漕ぎ出すとしばらくは逃げ場所がなくなるらしい。昼ぐらいから漕ぎ出すなら問題なくこの渓谷を通り抜けられるだろうが、時計を見ると16 時。艇を組み立て終わると17時。のはずが、フレームが曲がっていたり、入らなかったりというハプニングが続いて17時半を過ぎていた。暗い曇り空を見上 げながらの出艇は、あまり気持ちのいいものではない。
あっと、言い忘れた。水は、もう奇跡のように美しい。ただ天気が悪いから実感できないだけ。それと、ちょっとばかし寒いから消沈しているだけ。なんだかあまり感動していないようであるが、そうではなく、諦念というヤツである。

しかも水が少ない。のっけからライニングの連続である。

ある情報筋によると、坂下仙境はファルトには向いていないとあったが、それが正しいことをこうして身にしみて感じることになった。1キロ進んだらもう限界 だ。夕闇が迫って来ている。18時過ぎにいそいそと上陸。最悪の場合、何とか藪漕ぎして山肌をよじ登っていけそうなところをキャンプ地とする。
水位変化を見るための目印を伺いながらの夕食。気温はどんどん下がっていく、とうとうフリースを重ね着。焚き火のそばで、火の面倒を見ている時がいちばん幸せ。まるで晩秋のツアーみたいだ。

8月9日。結局、増水は免れ、朝とおぼしき明かりが曇天に灯った。4時。北海道の朝はなかなかに早い。そのうち全員が起きだし、早い朝食。熱いコーヒーとスープとウイスキーがうまい。

8時半出艇。相変わらずライニングは、当たり前。ちょっと無理をするとすぐ、岩にやられる。最初のうちは丸っこい岩だからと許していたが、とうとう 尖った岩肌の岩盤が登場。なかには千畳敷の岩盤もある。こんなとこに漕ぎ入った日にゃー、キール下の布が裂けていく様が頭の中に明確にイメージできる。も ちろん大きなステレオサウンド付きである。
仙境を抜け出すところで、釣り師に遭遇。あまご狙いらしいが、曰く「今年はいったいどうなっとるのかねぇ。一匹も釣れん。だいたい姿もない。いつも だったら、すぐかかるんだけど・・・」。ということであるから、我々の食事に川魚がのぼることもなかった。「歴舟は、いれ食い」だと聞いていた。にじます のソテーは、当然のように思っていたのだが・・・。

やがて久しぶりの人工物、相川橋が見えてきた。 ここから下るという選択肢もあるが、どのみち腹は擦るのであれば、仙境の風情も捨てがたい。中流部だってこんな顔をしていても、ちゃんと水面下に岩をたくさん用意してくれている。まず、「岩のない瀬は、瀬ではない。」というのが歴舟の実感だ。

13時過ぎ、カムイコタンキャンプ場着。キャンパーも閑散としている。そりゃそうでしょ。何も選り好んでこんな日にこんな所でキャンプしなくたっ て、1時間も走れば他にもっと温かいキャンプ場が見つかるはず。ただ私たちは仕方が無い。他に歴舟川はないのだから。この吹きさらしの川原で昼食をとる。
歴舟は、なるほど暴れ川らしく、流路もそのときどきによって変わるらしい。国土地理院の地図とはところどころで状況が異なっていた。また、ザラ瀬を 避けてちがう流路を探す必要があったりして、結構臨機応変さが求められる。(歴舟的特殊用語の説明:ザラ瀬を避ける=比較的楽な場所をライニングダウンさ せるの意。概してその後には急に流速が速くなったり、倒木があったりする)
このように書いてくると、まるで歴舟によい印象を持って無いように思われるかも知れないが、決してそんなことはない(往復81000円もかけて、そんなことがあろうはずがない)。水が美しいのは先にも述べたが、それより何より他の川とくらべて違うのはこの綺麗な川底。

自然なもの以外は一切見当たらないということ。さて、しかし寒いのは確かなので仕方ないから、漕げるところではしっかりパドリングした。少々艇が泣 こうが気にせずに、岩の上を突っ切った。そうすると思いのほか速く進んでしまったようである。16時30分、とある橋の下を通過。これが大失態の始まりと なった。
筆者は、これを上大樹橋だと思い込んだ。上大樹橋などという橋は存在しない。25000分の1地形図で、ちょうど切れ目のところに上大樹という 集落がある。そこで川へ垂直に交差しようとする道が書かれている。何故かそこに橋が架かっているものとばかりの先入観に捕らわれてしまったのである。コン パスの指す方向が少しおかしいことも、見過ごしてしまった。しかも、そこには橋が二本架かっていたため、大樹町には一本の橋しかないはずだという思いこみ も働いて、いよいよこれを大樹橋と認めようとはしなかった。
ただ頭の中にあったのは、この分だとあと2キロで大樹町に到着できる。何とか17時には上陸できる。ありがたやありがたや。この寒さから解放されることへの切なる願いだった。
そして、本来ルートファインディングが必要といわれている大樹橋へとそのまま突入していった。「ずいぶん何だかんだと障害物がある場所だな」と 思いながら漕いでいく、意外に大きな瀬がやってきたなと思う間もなく、隠れ岩に艇の前部分がひっかかった。当然のことながら艇は後ろ向きになるが、瀬のど 真ん中では旋回もできない。後ろを見ながら無理矢理バックで漕ぎ進んでいった。
まったく知らないということは強いもので、「厄介な川でおじゃりますなぁ」と思うだけでそのままやり過ごしていった。コンクリートブロック?、そういえばあったような気もするが・・・と、見事なほどに御気楽なものである。
そして、さらに30分漕ぐ。橋はまだ見えてこない。そもそもこの辺でグルッと川が左へ曲がるはずなのに、曲がらない。何やら、イヤーな感じになってきた。川幅はドンと広がり、いよいよ下流に見られる様相を呈してくる。
いよいよ、判断ミスを認めざるを得ない状況になってきた。上陸。すべての地図を引き出す。つないでみる。上大樹に橋はかかっていないことがここで明らかとなった。まずいっすよ、これは。
新しいコンクリートブロックを幾段にも積み上げて護岸された堤を登る。そこに杭が立っていた「97年補修工事」とだけ書かれている。で、それで一体ここはどこ?。こんな川はそうそうない。

茫然と辺りを見渡すのであった。
目印はない。唯一の構造物は茂みの向こうに見えるサイロと思しき赤い塔。もし現在地がA地点と仮定すれば、あのサイロはB地点のこの集落とな る。もしそこがB地点であるならば、もう少し下った左岸に大きな川原があるはず。もしその川原がC地点であれば、そこから集落へ上っていく道のある可能性 が高い。
そんなアバウトな分析しかできない。が、日暮れが迫って来ているこの状況下では、それが我々にできるベストな選択だった。
下ると、たしかに大きな川原があった。17時20分再上陸。しかし草が茂っていて見通しがきかない。どこかに出られるのかどうか判然としない。「別 にいいじゃないか、さっさとそこでテントを張ればいいじゃないか」と思われるかも知れないが、実は、大樹町で泊まる予定だったため水も酒も一滴も残ってい ないのであった。
しばらく行くと、車の轍を発見。救われた。それを追ってついに地上へと這い出ることができたのであった。そこは、伊藤牧場さんの敷地。芽武の伊藤で 分かるはずと教えられ、早速ハイヤーを呼ぶこととなった。10分後タクシー到着。一路デポ車をとりに行く。そして往復60分。18時50分に別班が設営し ているキャンプ地に帰りつく。なんとか日没に間に合った。
★★ここでワンポイント情報★★
歴舟川の場合、どのように移動手段を確保するかが難しい。我々の場合、ワンボックスカーを1台借りて上流にデポ。それを下からハイヤーで取りに 行くことにした。幸い下流部では携帯電話がつながるため大樹ハイヤーさん(01558-6-2070)に迎車をお願いすることができる。ちなみに芽武から 坂下ダムまで6000円弱。次の日再び乗った河口から芽武までが約2500円。あわせても8500円。レンタカーをもう1台借りるより遥かに安くつく。★

10日。なんとなく空に青いものが見える。なんと空である。こんなことに嬉々とする程、我々は太陽に憧れていた。昨日、予定よりずいぶん漕いだため、今日 は余裕を持ってツーリングできる。いよいよ河口へと向かう。噂によると、忽然とあらわれる青い海に感動するらしいが、さてどうなるだろうか。

下流部は、流路が複雑に分岐していて、一体どれが本流なのか全然分からない。広大な川原と木立だけが見える。ここでも途中の歴舟橋を除いて人工物は一切目に入ってこない。最果ての地に向かって漕ぎゆくかのようだ。
残っていたのは、1時間半ぐらいのツーリングに過ぎなかった。やがて、彼方に灰色の帯が横一文字になって見えて来た。それが海だった。この日、道東の沿岸部は霧。感動はなかった。われわれが見たのは単なる終着という表象だった。
いよいよ河口に砂嘴に到着。アホウドリたちが我々を迎えてくれた。波の音がする。上陸して駆け上がると、そこには大平洋が広がっていた。四国とも、紀州とも違う、見知らぬ大平洋の眺めだった。


生まれたままを最期まで、そのまま持っていくような旅。そんなソルジェニーツィンの一節を思い出してしまうような終わり方だった。
旅は終わった。一応、夢見てきた行為をけじめとして行う。それは、打ち寄せる怒濤の音の中でカップヌードルをすすること。鈍色の海を見ながら・・・。霧に隠れた襟裳岬の方を向きながら・・・。
さらば歴舟川。
海へ消えゆく清い水を見ているといつか睡魔が襲って来た。先程よりのささやかな陽光に温められた玉石の上にごろんと仰向けになり、私は、寝た。

2001年8月8日
コメントを残す