
それを二俣の瀬と人は呼ぶ。球磨川最大の瀬である。いやあ、大きい。こんなでっかい波は見たことない。沈するとなると、おそらくあそこでああなって、そしてこうなって、まあそんな感じだろう。としっかりイメージトレーニングはできた。球磨川急流下り。敵に不足はない。

DATE | 天候 | 区間 |
2002/5/17 | 曇り、夜小雨 | 廻-廻下 |
2002/5/18 | 曇り、時々晴れ | 廻下-中河原公園 |
2002/5/19 | 晴れ | 中河原公園-球仙洞上 |
2002/5/20 | 晴れ | 球仙洞上-神瀬小学校 |
水質(川辺川) | ★★★- | 無念。日本一の清流は、もう、ありませんでした。 |
水質(球磨川) | ★★ | 合流から離れるほどに、少しはましになってくる。 |
水量 | ★★★+ | 前々日まで梅雨の走りの雨、80~50センチの増水中。 |

さて19日はやってきた。おお、朝日も顔を出した。ただ水の量はあまり変わりない。文字どおり、 天気晴朗なれども、波高し。いよいよ今日のどこかで急流下りに突入するのだ。

天気のいい日は、気持ちがいい。テントも順調に乾いていくし、何となく撤収のテンポが速くなってくる。 自然と余裕の時間帯が生 まれたりするのである。たとえば、景気づけに球磨焼酎を飲むとか、 艇の補修をするとか。両方するとか・・・。
さんざん夜中まで騒いでいた、地元パドラーチームも徐々に起き出してきた。車にはポリを積んでいるか ら、きっと早々に瀬のあるところに直行し、しばらく遊んでいく予定なのだろう。片やさっさとどこかへ出かけて いくチームがあるかと思えば、片や我々が積み荷の準備ができてもまだ出発の気配のないチームもある。うーむ。 どんな予定なのだろう。他人ごとながら気になってしまう。
さて、出艇。9時45分のんびりと川面に漕ぎ出す。ここからしばらくは何事も起こらない、極楽区間。補修したはずなの に入ってくる水をひたすらビルジスポンジで(ビルジタオルと併用)しぼり出すのに腐心する。途中、左岸の彼方に、昨日入 った露天風呂の宿が見えてくるが、広葉樹林にこんもりと包まれた様子がよく分かる。そういえば、不思議なのだが、この辺 りは植林以外の山がたくさん残っている。きっと何か訳があるのだろうが、いろんな緑に包まれているその豊かさは、目にと ても美しくしみわたってくる。

11時15分、渡に到着する。
ちょうど、ラフティングツアーが始まるらしく、2艇のラフトと併漕用のロデオ艇が慌ただしく準備を進めて いる。その脇の葦が生い茂ったクリークに接岸。「こんちわ、渡ってここですよね。駅もここでいいんですか?」 と尋ねると、階段あがったらそこが駅だよと気安く教えてくれた。あとで聞くと、先日お会いした「ランドアース」 さんだという。さては、きっと別働隊がこちらでもツアーを催行しているのだろう。と思っていると別スタッフが合流 してきた。ああ、あのときの兄ちゃんだ。「また会いましたね」とニコッと笑って「どこまで行くんですか」と聞い てくる。「馬場公園の先ぐらいかなと思ってるんですけど」というと、「それだったらあっと言う間に着いてしまい ますよ。流れ早いから、もっと先まで行けますよ。どうです。いっしょに下りませんか。今日は、二俣がすごく おもしろいことになってるはずですよ」と誘ってくれる。
ちょっと待った。今の言葉。プレイバック。(二俣がすごくおもしろい?ということは、波がすご いということだわなぁ、普通。イコール、ラフトは楽しい。イコール、ファルトは大変ということでな るんでないの、普通。で、そこを偵察せずに一緒につっこもうって言ってるのかしら? アハ、アハハハハハ。 そんなお代官様、ご無体な・・・。)「いえ、ここで食事をとってからゆっくり行きますので、残念ですが、どう ぞお先に。アハハハハハ」と答えたのだった。アハハハハハ。フゥ~。
ということで、時間はまだ早いが、食事である。ツアーの出艇を見守りながら、カップヌードルをすすっていたの であった。さっそくすぐ先の瀬から、「キャー」だの「ワーッ」だのの歓声が響いてくる。「いってらっしゃい。お気をつけ て。」ツアーの無事を祈って、球磨焼酎のシエラカップを天に掲げた。
★★ここでワンポイント情報★★
ありがたいことに、ここ渡の駅前には酒屋の自販機があって、冷たいビールにありつける。が、ご注意願いたいのだが、 この自販機は成人を証明する運転免許証がないと買えないシステムになっている。ほう、こんなことになっているとは、と感心 しながら「で、いま免許証持ってる人?」と聞くと、かろうじて一名が持っているだけだった。川から上るときに免許証 は忘れずに。★

さて、再出発は13時。早速3級の瀬がやってくる。「熊太郎の瀬」というらしい。まあ、いよいよ急流らしくなって きた。ここを抜けるとすぐの所に小さな滝がある。こうした流れ込みや、葦によって、球磨川は少しずつだが、川らし い色を取り戻していく。
まぁ、沈はもう少し綺麗な水になってからにしようね。と言おうとしている先から、気の早い人はもう川の中にいた。

球磨川の大きな瀬は、ことごとく名前を持っている。きっと昔の主なる交通路が川だったことの名残だと思うが、 なにやら謂れがありすぎるような名前も多く、そこが気になるところだ。
まぁ、熊太郎は可愛かろう。でも、次の「くぎしめの瀬」とは名前からして、苦しくなってくる。そ の次が「那良の瀬」「八貫の瀬」と続く。その間にも2級ぐらいの瀬が続き、要はあまり沈をすると、場合によ ってはそのまま次の瀬に突入。どうなるか神のみぞ知るという状態になるということだ。いやー、みんな。今回のツアー にあたり、旅行傷害保険をかけてきて良かったでしょ。そりゃぁ、こんな所に来るのに何の保障もないなんて、それ は家族や親族に失礼というものである。
ここに、球磨川下りのパンフレットがある。曰く、「日本三大急流のひとつ球磨川を、矢のよう に疾り抜ける球磨川下り。48瀬、奇岩怪岩の間を縫いながら下るスリルと爽快感。水しぶきのドラマがはじまります」 ときたもんだ。一体どこからどこまで数えて48もの瀬があるのか知らないが、あの10メートルを越えるあの川船ならともかく 、4メートルそこそこのファルトだと、木の葉のように翻弄される球磨川下り。スリルは恐怖感に近いし、爽快感は絶句に近い ものがある。そもそも、前々日までこの急流コースは運行を取り止めていたというのだから、その事実を知ってい る我々としては、なおさら困ったモンである。

次にやってくる「高曽の瀬」では、記念撮影が行われるらしく、そういえば、岩場の上に何かの目印がある。ど うやらあれが、カメラのようだ。でも、詳しくは観察できない。こっちも当事者ゆえに忙しいのである。何だかんだ一 生懸命漕いでいると馬場公園は過ぎ去り、もう一勝地駅にまでたどり着いてしまった。
またここでも、別の急流下りのラフトツアーに出会う。ちょうどここは、コンクリートの道が川辺まで来て おり、出艇しやすいのだ。でも、ツアーにもよるのかな。この陰気くささは何だろう。まるでナチスの軍隊みたいだ。私 語も少なく粛々とツアーの準備を行っていく。普通、ファルトで乗り付けると、どこのツアーでもそうだが、気安く声をかけ てくれる。それは、ファルトの頼りなさや儚さというのが、西行や芭蕉以来私たち日本人の心の底にある遥かな旅へのロマン をかきたてる何かに通じるものがあるからだと勝手に思っているのだが。だから、みんな声をかけてくれる。老若男女誰もが そうだ。でも、中にはこんなにも、ぼくたちを無視する人たちもいるのだった。ただ、こんなツアーに参加して、おも しろいのかな?

とりあえず上陸。14時である。渡を出て1時間しか経っていない。駅まで急な坂道を上って行ってみるが、何にもない所である。ここで滞留というのも、あまりにも芸がなさ過ぎる。あと1時間もあれば余裕で球泉洞まで行けてしまうではないか。しかも、上からだと、この先の中州をはさんで二つに流れの分かれる瀬が見受けられる。「あ、あれが二俣の瀬か、たいしたことないなぁ。」「これは、さっさと行って違うところで野営するのが一番。」「きっと水量が多すぎて、たいしたことのない瀬になってしまったのだろう。」という判断をしてしまった。いつもの癖が出てしまった瞬間だ。ここから、悪夢の4時間がはじまることになる。「ラフトの人たちには残念だったね。」なんて、どんな口が発した暴言であったことか。
その瀬は、実に取るに足らない瀬であった。「いや絶対に違う。これは二俣の瀬ではない」 とK氏が言い張る。そういわれれば、そんな気もしてくる。「あれだけ、ツアー会社の人間がおもしろい と言っていたのがコレでは絶対におかしい。」と言うのだ。そうだなぁ、でもなぁ、と思いながら漕いでいくと 、大きな瀬音がする。巨大な中州が、流れを全く二分している。いわゆる二俣状態になっている。明らかにだ。
中州に上陸して、偵察。こいつは凄い。先ず右ルートは、入ってすぐに落ち込みがあり、そのあとも下に岩があるのか、水がのたうちまわっている。絶対に入ってはならない状態だ。左ルートは勢いこそ強いが、変な岩はなさそうだ。そんなこんなを確かめながら、中州の突端、つまり二俣の合流部が見えるところに出た。
「なんじゃ、こりゃあ!!!。」

背の高さほどもある波が三重にも四重にもなって続いている。「ほらなぁ、ゆうたやろ。二俣の瀬はすごいってどの資料を見ても書いてあるやんか」と耳元でK氏が言う。「はいはい、えらい、スンマヘン」。でも、いまやそんなことを議論している場合ではない。現実問題として、ここを通らずに先に行く方法はないのである。で、どうするかが問われている。
左ルートから入ることだけは、もう決まっている。しかし、この合流部をどう行くか。(1)男なら正々堂々、本流に乗っての中央突破。運が良ければ通過。悪ければ轟沈。(2)本流の右よりを乗っていって、できるだけ早く右ルートの流れに乗り移り、中央の大三角波の右横をすり抜けていく。横波を食らわなければ通過。食らったら轟沈。(3)とにかくひたすら左岸よりをキープする。ぎりぎり岩に引っかからないように気をつけて、三角波をあくまでも回避する。いわゆるチキンルート。岩に引っかからなければ通過。引っかかれば大破。場合によっては沈。
さあ、どうする。どれでもお好きなものをご選択のこと。本命1番、対抗3番、穴は2番。(のちに2番が、急流下りの船がとっている正解コースだと判明するが、この段階では奇をてらっているように思えてなかなか選択の踏みきることは出来なかった。)
中州を無言で引き返す中、各人がそれぞれに選択を決めていったのであった。私はといえば、1番を選択。艇にたどり着くと、早速沈に備えて、荷物用コックピットに網の目のロープをかけ、ハッチカバーの流失対策を講じた。(ファルホークをお持ちの方だとよくご存じだと思うが、このハッチカバーはすぐ外れるため、流失が絶えない。何とかならないものだろうか。)イメージトレーニングは出来上がっている。「パーフェクトストリーム」のマグロ船のようにあの一番でかい波を登っていく。ドンと弾かれて着水。あとはその時の艇の傾き次第だ。運が悪ければ、次の瞬間は水の中。心の準備をしておこう。
「はい、確かにすごくおもしろいことになってますよランドアース様。じゃ、行きます。」心でつぶやきながら、もうヤケクソの出発である。心拍数? ちゃんと速くなってます。というか結構速くなってます。左ルートの中央。どんどん艇の速度も速くなってます。ど真ん中突入。さぁ、これで、どうやねん。
結論。一発目OK。二発目OK。三発目NG。突き上げられたバウがどこに落ちていくかは、全く見えない。たまたま偶然に着水したときに艇が平行に近いかどうかだけの問題だ。いよいよ、これを抜けたら通過できるかも知れないと思ったとき、艇は三角波の右の腹に着水し、そのまま転覆した。沈か、久しぶりの感触だ。

このただ流されていく頼りなさ。あっ、またちょっとした瀬がやってきた。で、ひっくり返ったままの艇に這い登る。とろ場に入って艇をリカバーしたものの、完全な水船状態になっている。接岸して、水だしだ。仕方がない。が、あれっ? ひょっとして沈したのは私一人だけってことは、ないでしょうね。と周りを見ると、みんな艇のコックピットに鎮座ましておられる。ああ、もったいない。こんな瀬を沈しないで通るなんて、それはもったいなさ過ぎると、ここは記念にでも沈しておくべきでしょう。球磨川下りの一生の思い出になるなどと強がりを言っている私であった。
15時半。さて、二俣も終わったし、あとはキャンプ地を探して余裕の行程かと思ったのだったが、ここから球仙洞駅までの残りわずか3キロがなかなかに遠いのであった。
次にやってくるのが、修理の瀬。ファルトにとっては縁起でもない名前であるが、それはいいとして、なかなかに結構大きな波が立っている。乗ってる途中、やばいと思った瞬間もあった。が、どうにか、通過して次にすぐやってくる網場の瀬の手前のエディーには入った。ちなみに次の網場の瀬も、ここを上回る巨大三角波が立つところだと聞いている。つまり、とにかく、一度ココで体勢を立て直すこと。これがマル必なのであるが・・・・。
K氏、沈。途中の左岸岩場の影のエディーに退避。流失したパドルは先行員が確保。まあ、そのまま網場の瀬に突入しなかったことは幸運だったが、次の手だてがない。これが、今回最高難度の救出劇となった。川幅は20メートル。水中の岩を伝って、18メートルにまで近づいた。だが、スローロープは、22メートル。ダイレクトにその場へ投げられるかどうかということになる。足元は岩場。(ちなみに私は、サッカー小僧で育った。ボールならそこに蹴り込めるかもしれない。が、スローロープを投げるのは全く自信がない。)
一投目、失敗。川幅の2/3にも届かない。二投目。渾身の力で投げた。なかなかいいところまで飛んだみたいだ。だが、私はそれを見届けてはいない。足元が滑って、岩から仰向けに滑落。ああ、ライジャケとヘルメットを被っていて助かった。あわや二次災害である。で、ところで、スローロープはどうなったか。・・・。あったあった。あそこだ。ほらほら網場の瀬に吸い込まれていく。「スローロープ22メートル殿に、敬礼。」いざぁ、さらぁばぁ~。
でだては無し。自助努力、最小限的協力。下流部待機。
パドルをデッキに載せて、岩場と、網場の瀬の手前にあるもうひとつの左岸エディーで待つ。流れてきたら、パドルを渡す。あとは、自力で漕ぐに任せる。頑張った人には、右岸のリカバリーポイントが待っている。残念な場合は、網場の瀬の大波が待っている。どっちが好きかは、本人の好みの問題ということにしよう。
結局、K氏は、右岸で体制を整える方がお好みだったらしく、なんと喫水線がほとんどコックピットという状況で到着した。よくぞ漕いだものだと思う。水を出すのも、なかなかの大仕事。もちろん、例のごとくコックピットカバーもなくなっているし、代わりにビニール袋をゴムバンドで結びつけたり、溜息ついたりの大忙し。時刻は17時半になっているのであった。
さて、気を取り直して出発するも、もう腹一杯という感じで、網場の波を越えていく。いよいよ日は翳ってくるし、相変わらす岩場ばかりの景色。困ったなあと思っていると、また瀬音。高花の瀬である。右岸岸壁に沿ってカーブを描いている。最後は、どうやらややこしいことになっていそうなので、とりあえず左に逃げる。そうしてそこを過ぎると、有り難いかな、眼前に河原が広がっていた。球仙洞駅の手前、500メートルの地点。川船を出すために斜傾地になっているところであるが、もう文句は言っていられない。ここを今夜の野営地とする。何もないところだ。まぁ、それが本来当たり前なのであるが。
それより、ジョン・ダニングが大変なことになっているではないか。マップケースは最早、パルプの水槽状態。哀れ、「深夜特別放送」のシナリオは倍ほどの厚みに仕上がっていた。両の手で圧力をかければ水増し部分は、いくらでも水を染み出させてくる。しかし、読めるようになるまでは、相当の乾燥期間が必要のようだ。ベルクロマップケースに重みと思って本を入れたりしてきたのだが、これはいよいよ無駄というより反対の効果が明らかになってきた。マップケースの重量は最小限に押さえること。いよいよ四回目の買い換えに当たって肝に銘じることにした。

20日。何の変哲もない河原に、何の変哲もない朝が来る。いつだって快晴の朝しか来ないように、快晴の空が広がっていく。先日は沈はすれども、特に大破したところはないので、支度時間は存分にある。たとえば濡れた地図を乾かしたり、濡れた本を乾かしたり、濡れた資料を一枚ずつひっぱがしたり。

本日は川下り最終日。いろいろあったようでも、やっぱりあっけないモンだ。10時、漕ぎ納めの出艇。あと大きな瀬といえば、槍倒の瀬を残すばかりとなった。少し行くと、前方に断崖絶壁の岩山が見えてくる。これが清正公岩。その直下は、おっかない鍾乳洞のような岩場になっているが、まあ、せっかくだから寄っていくといいだろう。貴重な川の情報が得られる。


というのも、ここ自体がアンダーカットロックになっていて、艇を静かに引き寄せる。水は流れていないように見えて、実はこの岩の下を流れている。試しにパドルを差し込んでみた。確かに水面下には岩がない。恐ろしい場所だ。そして、ここから槍倒の瀬だと思われる箇所が見通せる。ここと同じ様なシチュエーションで、対岸左カーブの瀬となっている。ということは、自ずと知れたこと。アンダーカットロックになって、強力に艇を吸い寄せてくるだろう。心してかからないと右舷大破どころか、死ぬほど恐い目に遭うだろう。とにかく左に漕ぐべし。漕ぐべし。
槍倒を過ぎると、そこが球仙洞。なるほど、鍾乳洞があっても不思議ではない。ここには船着き場があり、どうやら球磨川下りの終着点になっているようだ。ここから登って観光客は球仙洞に吸い込まれていくという塩梅なのだろう。
我々はというと更に先を目指す。もうひとつ先の白石で終わる予定だ。気をつけるべき瀬は、あと一つだけ。球仙洞から大きく左へカーブを切ったところ、鎌瀬という地名通り、鎌のように鋭く曲がった瀬がやってくる。鎌というよりはどちらかというとカタチは「錨」に似ている。流れは直角に正面の岩盤に当たり、左右それぞれに渦を巻いている。瀬に乗っていけば、激突間違いなし。下手に瀬の左側に入ろうものなら、左の淵で永久運動を繰り返すか、突き出ている岩にブローチして終わり。つまり、さっさと瀬の右に逃げる以外に選択肢はない。
ここの瀬を終えると、もう瀬らしき瀬は見あたらない。五月晴れの強烈な紫外線の中をただのんびり揺られるだけの旅になる。ただ山の緑が殊の外豊かで、色合いも多く、目を喜ばせてくれる。「萌えの朱雀」をライブで観ているような気持ちよさだ。逆行ぎみの山に見えるあの木々の葉を光が通過したときにだけ見られる独特の緑の色。何度カメラに収めても、絶対に再現できないあの色。分かっていてもシャッターを切る。やっぱり写っていなかったのだが、その記憶だけは積み重なっていき、いつかアームチェアーの中で脳裏に再現できるまでになることを願う。
終着点の白石が見えてきた。しかし、予定に反して、ここには上陸するポイントがないのである。右岸に巨大なスロープ付きの護岸堤防が出来つつあるが、私たちの訪れた段階ではまだ利用不可。左岸にようやく艇が一杯だけ接岸できる箇所があるが、そこから上の駅がある道まで荷物や舟を引き上げるのは、相当に骨が折れる。しかも何かの廃墟であるらしく、階段はあっても、所々瓦礫で埋もれていたりする。

護岸工事の交通整理をしていた人に尋ねると、これより1キロぐらい先、白い体育館の屋根が目印の神瀬小学校で上陸できるだろうとのこと。真昼の太陽の下、いま少し漕ぎつづけることになる。12時30分。その場所に接岸。ようやく地上の人へと戻った。ちょうど荷物を乾かすに充分な広さのコンクリートの平地がある。さっさと荷揚げし、デポ車のある中河原公園へと戻る算段をたてる。本当は白石の駅から、列車に乗って車窓の旅をしようと考えていたのだが、少々駅までは遠いし、ダイヤもあまり良くない。たまたま路線バスがあることに気づいたが、出発は13時、ちょっと間に合わない。結局、再び人吉タクシーさんに迎車をお願いすることにして、30分程の待つ時間を神瀬の集落の中で酒屋を探すことに費やす。あったあった。どこに行っても酒屋だけは必ずある。カシュッとプルトップを青空の下で開けた。とりあえず、無事終了。何より、何より。

【追記】こののち7/10発売のカヌーライフに川辺川のことが載っていた。なんでも、全国ビデオ大賞という映像の大会で、「ダムの水はいらん」という川辺川の実情を描いたドギュメンタリー作品が大賞をとったとのこと。川辺川利水訴訟原告団事務局さんの方で販売しているということで、早速取り寄せて観てみた。(この実費費用は2000円なのだが、カンパを自由意志で募っていたようで、それは別途ということらしい。よくその事情を理解していなかったため、2000円しか送らずに終わってしまった。すみませんでした。)この川の現状がよく分かる内容でした。どれだけデタラメがまかり通っているかが一目瞭然です。これだったら、立派な裁判用資料にもなるでしょう。ぜひとも、この国の暴走を止めるために、頑張っていただきたいと思います。できれば、皆さんもご覧になってください。
2002年5月19日
※のちに、この地で100年に一度の大水害があり、ダム建設も含めた水害対策へと対策は変更されることとなります。
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