知恵競べ、根競べ、海部川。

美しい花には、刺がある。この清流はそんな川だった。落ち込み、隠れ岩、ぶっつけ、ストレーナー、ブロック、倒木、堰堤、杭と、何でもござれ。その うえにかなりの流速。こんなに忙しいツーリングは初めてだった。油断はかならず手痛い事故につながっている。川面の微妙な変化を読んで読んで読みまくらな くてはならない。なかなかにワイルドな川、それもそのはず、だってこの川には、ダムがひとつも無いんですから。しんどいけれど、正真正銘の有り難い清流な のです。20世紀最後の思い出にと、下ってまいりました。

DATE天候区間
2000/11/3小川口-神野
2000/11/4神野-新海部川橋
水質★★★+噂通りの清流。ただ増水により薄く青味がかっていた。
水量★★★+二日続きの雨により、3~40センチの増水。

20世紀最後のツーリングをどうしようかと、ずっと考えていた。夏に行った四万十川が最後では、ちょっと物足りない。文化の日は、特異日のひとつ。 きっと晴れるはずだ。これが最後のチャンスと見た。その前日は、東京出張という相変わらず根性を持って臨まないと、実現が難しい状況ではあったが…。それ はそれとして、じゃぁ、どこへ行けばいいんだろう。

ひとつ、気になる川があった。数年前に何となく手にしたネイチャーランドという雑誌の特集に「やっぱりきれいな川を下りたい」というページがあっ た。そこで紹介されていたのが、歴舟川と海部川だった。歴舟もぜひ行ってみたいが、この季節の北海道はちょっとハード過ぎるし、ちーとばかり遠すぎる。と なると、海部川だ。四国は、室戸の近く。約200キロ、行けない距離ではない。

ただ、この川の情報は圧倒的に不足していた。件の雑誌も、それほど詳しく書いてある訳ではない。ファルトに向く川なのかどうかも分からない。川沿い に路線バスが出ていることだけは判明したので、ソロツーリングが可能だということだけは分かった。メールで海部町役場に問い合わせてみると、隣の海南町役場が運行しているらしい。海南町に問い合わせて、時刻表を送ってもらった。しかし、相変わらず海部川の姿は、部分的にしか見えてこない。

二日間続けて、秋雨前線の活動が活発化した。川は、どうなっているだろうか。建設省の河川水位統計を見てみると、吉野川と那賀川の様子は分かった、 物部川の様子も分かった。二メートルほど増水した後にすぐ水が引き始めている。しかし、その間に位置する海部川の様子は分からない。何故か?つまり、この 川にはダムがないからだ。ダム放流型の水位変化とは、きっと違うはずだ。さて、どうする?

11月3日、8:00、迷いながら神戸を出発した。明石海峡大橋を経由して一路徳島県を目指す。まだ少し曇っているがラジオから流れる天気予報では、これから天気は急速に回復。晴れになるという。

10:00小松島市内を通過。噂ではここから1時間半ぐらいでいけるはずだ。途中阿南へ向かうバイパスの入り口で酒と飲料を買い出し。交通量はそれほど多くない。

最近、野田知佑氏が移り住んだことでにわかに有名になった日和佐を過ぎる。さて、いったいどのあたりに居を構えたのだろうか。などと思いながら山道 を運転していると、急に側道に人影が見えたりする。お遍路さんだ。このルートには、21番霊場から23番霊場がある。そのせいだろう。クルマで追い越しな がら、心で合掌する。

誰がために 歩いていくか 同行二人

そんなこんなしていると、トンネルを抜けたところで突然視界がひらけた。太平洋だ。残念ながらまだ曇っているのだが、きれいな海なのは分かる。水深 の浅いところでは底が透けて見えている。きっと夏には海水浴とかで賑わうんだろうなぁ。ここだったら、今度家族で来てもいいかも知れない。

そうして程なく海南に着いた。阿波海南の駅はあっけないほどに小さく、道路を挟んで向かい側にある駅前ロータリーがなければ、行きすぎてしまうところだった。ここには、コンビニもあるし、定食屋さんもあるから、腹ごしらえや買い足しには好都合だ。

12:00、町役場の角を左に折れ、下道をこちょこちょと入っていき、一番河口よりの橋、海部川橋に出た。いよいよ海部川との対面だ。

薄い水色、これが最下流の水の色である。 前方は遥か太平洋。

水色の水が流れている。太陽の光が差し込めば、きっと素晴らしい透明度を誇るに違いない。やはり、清流と呼ぶに相応しい川だった。この辺の左岸にも車は下ろせそうだが、この橋の下は、ブロックが隅なく敷き詰められている。ツーリングは、ここより上で終わる方が良さそうだ。

水色の水が流れている。太陽の光が差し込めば、きっと素晴らしい透明度を誇るに違いない。やはり、清流と呼ぶに相応しい川だった。この辺の左岸にも車は下ろせそうだが、この橋の下は、ブロックが隅なく敷き詰められている。ツーリングは、ここより上で終わる方が良さそうだ。

水色の水が流れている。太陽の光が差し込めば、きっと素晴らしい透明度を誇るに違いない。やはり、清流と呼ぶに相応しい川だった。この辺の左岸にも車は下ろせそうだが、この橋の下は、ブロックが隅なく敷き詰められている。ツーリングは、ここより上で終わる方が良さそうだ。

中流部、川幅はだいたいこんなもの。

以後、川沿いの道を遡行しながら、下見。上陸・撤収可能地点とバス停の位置を確かめていった。それで分かったことは、少し増水しているが明らかに美 しい川であるということ。仁淀川、錦川クラスの美しさだ。それから、ポーテージ覚悟の堰堤が三つあること。釣り人がいるシーズンには来ない方がいいだろう ということ。川相として、それほど幅がない。トロ場以外は明らかに釣り師との対決になる。

直角ではない、マイナス角である。本流に乗っていけば間違いなく激突する。早く右に逃げたとしても出口の岩で左舷をもぎ取られるだろう。ラインを張るっていったって、手前の岩場も相当に流れはきつい。

結局、皆の瀬(かいのせ)までしか下見できなかったが、これより上流でファルトができるかどうかは、また誰かの情報を待ちたい。この瀬自体が結構、気をめげさせるに足る瀬 だったので、ボクはここで諦めてしまった。だいたいこんな瀬をいったいどうやって漕ぐんだい?ライニングするといっても、どこで降りてどこから引っ張れば いいのだろう?臆病者と言われても、ここだけは勘弁して欲しい。

この支流の美しいこと。どこからが川か分からないくらいだ。

すでに時刻は14:00を回っていた。そろそろ出艇ポイントを決めたいが、この辺で河原に降りられるポイントが全然見あたらない。さんざん探した が、結局小川口まで戻らなければならなかった。二宮酒店、なんとまぁ打って付けの場所に酒屋があるもんだと思うが、その下手100メートルほどいくと、消 防団の車庫がある。さらに50メートルほどいくと支流・小川谷川に降りていける道がある。ここがデポ兼出艇ポイントになる。

結局、艇に荷物を積み終わり、ライジャケを羽織ったのが、15:45。出艇が遅れたのを他人のせいにしたいところであるが、周りには誰も居ない。すべてが自分のせいになるのが、ソロ・ツーリング。響きはカッコいいが、やっぱしんどいでござる。

しずしずと艇を流れに押し出す。ひんやりとした水。相変わらずの曇り空。あたりはもう夕闇が訪れてきたかのようにほの暗い。せせらぎ以外には何ひとつとして音は聞こえてこない。厳かな出艇だ。

竹林がしなだれかかるように、行く手を遮る。本流まで、あと100メートル。

小川谷川の竹林を抜けていく。もうすぐ本流に出るはずなのに、竹が邪魔をして状況が分からない。緊張感だけが高まってくる。合流点は山の陰だったため、下見ができていないのだ。

三間ごとに岩があるからかな?さんげん岩。

しかも、その下流には、さんげん岩という荒々しい瀬が待ち受けている。橋の上から見る限りでは、相当岩も絡んでいる嫌らしい瀬だった。

合流は、突然やってきた。合流点自体が瀬になっていた。できるだけ横波をうけないようにエントリーする。流れが速い。漕がなくてもどんどん艇が前に 押し出されていく。瀬音が聞こえる。白い波立ちが見えてきた。さんげん岩だ。止まりたいのに止まれない。流れが細まり凄い勢いで吸い込まれていく。偵察不 能。

飛行機でいうところのV1は過ぎた。V2に向けてひたすら漕ぐしかない。流れに負けないように漕ぐしかない。どこに岩があるのか、あとは天のみぞ知る。「おい、その波。おまえは三角波なのか、それとも岩なのか。」

突入。本流を突っ切る。ドンとバウが跳ね上がる。大丈夫、水のパンチだ。パドルを休めるなと自分に言い聞かせる。次々に、波がやってくる。眼鏡が濡 れて視界が良くない。何となくヘンに盛り上がった白い塊が右舷の先に見えた。右を強く漕いだのか、左にパドルを刺したのか、はっきりとは覚えていない。そ の時、右側手の届くところを黒い影が過ぎていった。そして、瀬を抜けた。一度だけ、どこかでボトムを打った感触があったが、大破はしていないようだ。

3級の瀬では片づけたくはない、あまりにも必死に漕いだ瀬だった。橋の上を見ると、一台のバンが止まって、こちらを見ていた。「おまえ一体何やってんだ。死にたいのか。オレが警察に連絡しなきゃなんねぇのかよ?」というような表情だった。

翌日しっかり見てみると、結構エグイ岩たちのフォーメーションだった。

とか言っている間もなく、次の瀬がやってくる。さんげん岩とは、もしかすると、三回見る岩という意味なのかも知れない。さて、さんげん岩の二発目だ。

相当に尖った岩が白い波の中に、突き出ていた第二の瀬を振り返る。まるで罠みたいだ。

川面から見るとルートはひとつしかない。異様に盛り上がっている白波の間の、比較的穏やかな三角波の真上だ。予想通り岩の間を通過。ところがこの 瀬、二段構えになっていた。乗り越えてすぐに、左舷前方に嫌な予感。リーンして反転流をボトムに受け、かろうじて逃げる。早い話が、あぶなかった。

最後の第三の瀬は、いわゆる普通の3級の瀬。余裕をもってというか、すでに麻痺したまま突入。さんげん岩3連発を終えた。この間、出艇してから約10分。あっと言う間の出来事だった。

この後も、瀬は、次から次へとやってくる。久しぶりに忙しい川下りだ。とはいえ、せいぜい2級どまりの瀬。しかし、どれひとつとして、気を許せな い。いやーな白波が、所々に立っている。直角に当たる瀬なんて当たり前。障害物が突然、川の中に屹立する。消波ブロックが吸い寄せる。安全策を取って近寄 らなかったが、アンダーカット・ロックもあったようだ。まるでカヌー入門書に出てくる危険物一覧を見ているようなツーリングだった。

3キロ地点・樫の瀬を20分で通過。三ヶ尻という比較的ストレートで、右岸に長い河原が続く部分を行く。この辺からツーリングを始めるカヤッカーが時々いるらしい。(次の日に乗ったバスの運転手さんが言っていた。)この直線が、終わるところに、ややこしいところがある。

流れの真ん中に何故かテトラポットが、どっかりと構えているところがある。ちょうど川幅も細くなっており、注意を要する。それは、道路からでも分 かっていたことであるが、実はその手前に更に注意を要するポイントがあった。ちょうど件のテトラが見えてきた時だ。少し波立っているなとは思っていたので あるが、そこに隠れ岩が横一列に潜んでいるとは想像できなかった。正確に言うと、もう一列あったから、二列横隊というのであろうか。エントラップメントが こんなところに待ちかまえていた。

底を擦るぐらいなら、別に構わない。問題は乗り上げだ。やってしまったのだ。痛恨の乗り上げ。しかも、流れはかなり速いと来ている。ここで艇を離れることは、沈を意味する。沈をした場合、あのテトラに張り付くか、吸い込まれるかの、どちらかになる。最悪の事態だ。

もがいていると艇が傾きデッキに水が被ってくる。ダメだ。流れをデッキに当てたら最後だ。意地で反対側に艇を傾ける。パドルを上手側にさしこみ、力 尽くで支える。そして、たとえキール下の布を破ってもいい。石の上をずりおしながら、もがき続ける。何分、そこで、そんなことをしていたのか分からない。 やがて、岩を乗り越えた。助かった。態勢を整えると、テトラと右岸の間を艇はすり抜けていった。

16:30。5.5キロ地点の神野の第一堰に到着する。左岸からポーテージ。荷物を運んでいる内に、トワイライトタイムがやってきた。曇り空がほのかにオレンジ色の光を地上に降らせる。もうすぐ闇がやってくるという最後通告だ。本来の予定は、もう少し先なのだが、仕方がない。ここでキャンプすることとする。

増水しているためか、堰堤も凄い音を立てている。第一堰堤は左岸からのポーテージとなる。

堰堤は、轟音をたて続けている。静寂からは遠い野営となってしまった。ただ流木には事欠かないのが嬉しい。テントを張り、ランタンを点灯し、焚き火に点火。18:00。秋の夜は、本当に早い。

不思議と暖かい一夜だった。フリースを二枚着込んでシュラフに入っていると、そのうち暑苦しくなって、目が覚めた。まだド夜中の1時半。その後は、堰からの轟音も相まって一向に眠りが訪れない。仕方ないのでマップを取り出して、ツーリング計画を練り直してみる。

マップメーターで計ってみると、出艇からこのキャンプ地までは、5.5キロ。それを45分で下っている。時速7.3キロにもなる。上陸予定地点の新 海部川橋の手前までは、残り15.5キロ。2時間で行ける計算になる。途中、二カ所の堰堤があり、ポーテージに1時間かかったとしても3時間の行程しかな いのだということが分かった。

眠りは、いつまでたっても訪れない。せめて星でも出ているなら、夜空を見ながら時間を過ごすこともできるかも知れない。しかし、空に明かりはない。焚き火も、とうの昔に燃え尽きている。何にもない時間だけが過ぎていった。

4日、5:30。横になっているのも飽きたので、起きることにする。あたりはまだ薄暗い。水量は、昨日とあまり変わっていない。つまり、かなりの流速で下っていくことになるだろう。

6:00にサイレンが鳴った。田舎の朝ははっきりと分かるようになっている。今日が始まった。普通の土曜日である。学生たちは、学校がある。やがて川向こうの集落から制服姿の人影が出てきて、川沿いの道を歩いていく。路線バスが来る時刻なのだろう。

こちらも、相当に早起きしているから、コーヒーも二杯目。荷物のパッキングもほとんど済んでいる。7:30ぐらいに一時陽が射したが、また雲におお われてしまった。天気を嘆いても仕方がないし、それ以外にすることもないので、出艇する事となった。7:45。こんな早い旅立ちは、初めてだ。この夏の四 万十の記録を塗り替えたのだった。

流れがどんどんせき立てるように前へ前へと運んでいく。相変わらず油断はできない。何気なくあらわれる瀬にも、何らかの裏がある。たとえば、この日 出艇して最初のカーブは、瀬音とともにやってきて二つのルートに分かれていた。ふつうなら外側のルートを通るところだ。内側はきっとザラ瀬に違いない。と 思ってアウトコースに寄っていくと、その先の流れが異様に狭くなり、ほとんど直角に曲がっているのが分かった。あわててコース変更である。内側はいわゆる 普通の1級の瀬であった。

誰のためのトイレか知らないが、こんな綺麗なトイレは他に例を見ない。

そこを抜けると、三筒という広大な河原が広がるところに出る。右岸の彼方に吾妻屋風の建物が見えてくる。これがなんと、超清潔トイレ。三筒トイレといわれる施設だ。なかなか川からは行きづらいが、それをおしても一度は利用しておきたいほどのキレイさ。掃除当番でもいるような美しさである。

不気味な音だけが聞こえる。下見をしていないと堰堤の場所は分かりにくい。

ここを過ぎて川は再び大きなカーブをきる。そして堰がくる。音だけが聞こえるが、前方には何も見えない。それが堰堤だ。

丘の上から堰堤が偵察できた。右岸以外にポーテージの選択肢はない。

近づいてやっと水平線が見えてくる。第二堰だ。右岸に接岸して、荷物を降ろす。護岸壁には階段があって上に登ることはできるが、残念ながら堰堤の下手にこの護岸から降りるところがない。つまり、陸上でのポーテージはできないということだ。

幸いなことに右の魚道を、荷物無しの軽い艇ならダウンさせることができる。

魚道をライニングするのである。水量にも依るのだろうが、このときはちょうど頃合の水が流れており、腹を擦ることなく艇を流すことができた。

気の抜けない川旅は、そのあとも続く。太陽の陽が射さないから、水の中の様子が予想しづらい。そのくせ南向きに下って行くから、川面が乱反射してなおさら見づらい。急にコース取りを変えなければならないことが時々やってくる。

地もとの人は大堰という。長いポーテージを要するツーリングの難関。

中野トンネルを過ぎると右から相川の流れ込み。いよいよ第三の堰、大井堰へと向かう。

橋まで行ったら行き過ぎ。その先、命の保証はないかも。

ポーテージ開始地点は、橋の手前の左岸、岩が川面からいくつか飛び出しているところ。ここを真横に50メートルほど行く と、道に出る。100メートルほど歩くと橋の東詰めにたどり着く。さらに100メートルほど行くと河原に降りられそうな高さの土手に行き着く。そこを飛び 降りて50メートルほど歩くと再び川である。さて、ここを荷物を持って一往復、その他の備品を持って一往復、艇を担いで運び終わると、はたして何メートル 歩いたことになるでしょうか?

答えは、1500メートル。これ、冗談じゃないです。「やっぱファルトは、根性だ。オレって男じゃん」と実感する場面です。正直言って苦しいです。はい。途中、噂には聞いていたマムシも道を横切っていきましたし。おっかないという付録つきです。

ポーテージに要した時間は、50分。時刻は10:00になっていた。漕ぎ出すとすぐ真新しい橋をくぐる。持っている地図には載っていない大きな橋 だ。ちょうど下を通るとき、子供をうしろに乗せた自転車がやってきた。女性が大声を出して手を振る。うしろの子供も大喜びで手を振っている。こんなに喜ば れると、ちょっと恥ずかしい。もちろん手を振り返したが、通り過ぎてもまだ呼び声は続くし、立ち去ろうとしない。さすがに、これには参った。そんなにカヌーって珍しいんだろうか。

吉野橋の手前、流れが窄まりコンクリート杭が出ている。

残りの行程は、あとわずかに6キロ。10:30、吉野橋を通過。相変わらずコンクリー杭が突然飛び出していたりして、ギョッとするときがある。

流れは広がり、滔々と流れる。しかし流速はかなり速い。

とはいえさすがに下流部になってくると流れは穏やかになってくる。

澄んだ水が分かるだろうか。下流部にしてこの清冽さである。

旅の終わりになってやっと、太陽が顔を出した。光が川を射抜いた。水の色が見えた。あのアクアマリン色の川、錦川を思わせるような透明さだった。天気に恵まれなかったことだけが心残りだ。艇の下にはこんな水がずっと流れていたのに、視覚として実感する機会は少なかった。天高い秋の空のもと、下れる日が、またいつか巡ってくるだろうか。

新海部川橋の手前の広大な河原に上陸。セメント工場の裏手になる。

終着は11:00。運良く11:08発の路線バスに間に合いそうだ。ここから町役場前までは、歩いて5分といったところだ。さあ、デポ車を取りに行こう。バスの車窓からきっと美しい川が見えるはずだ。ほら、青空が広がってきた。

2000年11月3日


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