一度は行かねばならぬ川だった。「日本の川を旅する」を読んだときから、まずは屈斜路湖のあの露天風呂に入らねばならぬ定めになっていた。ただ、この夏の 北日本は天候が無茶苦茶だった。梅雨前線に似た停滞前線が知床の岬にかかっていた。オホーツク海から冷たい高気圧が張り出していた。かくして八月八日夏 まっただ中の低温注意報の中、地元の人がストーブに火を入れて暖をとる中、野田知佑氏のあのホクホク顔を意地でも真似て、露天風呂に入らねばならぬのだった。

DATE | 天候 | 区間 |
1998/8/8 | 曇ときどき霧雨 | 大阪-屈斜路 |
1998/8/9 | 曇ときどき小雨 | 屈斜路-摩周 |
1998/8/10 | 曇ときどき晴 | 摩周-標茶 |
1998/8/11 | 晴ときどき曇 | 標茶-細岡 |
1998/8/12 | 晴ときどき曇 | 細岡-福岡 |
水質 | ★★★+ | 上流は、屈斜路の透明さそのままの清冽な流れ。 |
水量 | ★★★ | 水は豊かに違いない。だって湿原ですもの。 |

八月八日、関空発女満別行きANA763便は、09:25の定刻を約20分遅れて飛び立った。機中ほぼ満席。チェックインが遅れたため(というのも 並んだカウンターが良くなかった。いきなりややこしい話をする客が二人も続いたのだった。とうとう「女満別行きでまだチェックインされていない方はいます か?」の声に手を挙げるはめになった)、真ん中の並びでしかも両サイドを他人に挟まれた最低の席に押し込められてしまった。この時から、何だかついてない なという予感はあったのである。
スクリーンでは、「ピカチュウの夏休み」をやっていた。実はわたくし、縁あってピカチュウを贔屓にしており、興味はあったのだが、前の乗客の頭であ まりよく見えない。仕方ないのでジョン・ダニングの「幻の特装本」を読み続けていた。物語の中では、相変わらず雨が降っていた。シアトルという所は、そう いう気候らしいのである。いつのまにか映画は「ミスター・ビーン」に変わっていた。ただ、この俳優にどうしても愛着がわかない私は、やはり雨の中の格闘 シーンを読み続けるほかなかった。そういうことである。
そういうことであるから、到着地の女満別は小雨。気温14度。あまり、意外という気もしない。ただ、もちろん、嬉しくもない。11:50到着ロビーを出る。本当はここで昼飯だったが、到着が遅れたためバスの出発時間が迫っているため断念。そういうことである。
そういうことであるから、12:10発の阿寒パノラマバスに乗ったものの、パノラマは全然見えてこない。ここから約一時間半の霧雨観光となった。バ ス内に流れるテープ・カイドが、美幌峠からの眺望をしきりに自慢している。パーンと眼下に広がる湖といったってねえ・・・。峠のドライブインでバスは20 分の休憩。名物熊笹そばをすすって、暖をとった。
バスの方はというと、定刻通り1:45に和琴半島の バスストップに到着した。2340円なり。これで景色がついていたら、言うことなしなのだが。とぼやいていても仕方がないので、えいと荷物を担いでステッ プを降りる。そこは、想像よりはるかに立派なアスファルトの駐車場だった。ここでノースイーストカヌーセンターの人と落ち合うことになっている。荷物を搬送してもらっているのだ。

★★ここでワンポイント情報★★
今回のツアーを組み立てる上で、ポカラさんの情報を 参考にさせていただいたのだが、そこでこのノースイーストカヌーセンターのことを知った。もちろん釧路川ツアーもしているし、またパドラーの便宜をはかっ て荷物の搬送や移動を手伝ってくれる有り難いショップ。私たちはファルトとキャンプ道具をあらかじめNECに宅急便で送っておき、時間指定で和琴半島ま で持ってきてもらった。ツーリング上の注意箇所とかを説明してもらって一人2500円。(通常のケースでは、摩周から和琴まで人間を荷物ごと送り届けて 3500円とからしい。)計画次第でいろいろ手伝ってもらえそうである。電話01548-2-5131。北海道川上郡弟子屈町中央1-5まで★
見回すとヤッケを被った若い女性が立っていた。その人がNECの人だった。まずは天気が悪くて残念ですねと、お悔やみの言葉。でもここのところずっ とこんな天気ですからと、慰めの言葉。湖畔キャンプ場まで誘導してくれた。当初予定では公共キャンプ場に泊まるつもりで予約もとっておいたのだが、そこか らでは湖に面しておらず出艇ができないとのこと。そこで和琴半島西 側のこのキャンプ場に一日の居を構えることとした。またこちらの方がだんぜん安いのである。ひと張り500円ぐらいだったと記憶する。どこに張ってもい い。公共キャンプ場の方はたしかにキレイだが、いわゆる飼い慣らされたキャンプ地といったところで、区画の中に押し込められてしまう。もっともトイレは美 しい方がいいから、ま、借りにくることになるのだが。
しかし、湖畔は大変な風だった。通常半島のこちら側は凪いでいるようなのだが、この日は反対。冬の風向きだと、売店のおばさんは言っていた。湖に は、三角波がたち、ボートを出す人間なんて一人もいない。酔狂なウインドサーファーだけがまるで飛ぶように湖面を滑っていった。テントを張るのも一苦労。 タープなんてとても無理。だから体感気温はどんどん下がっていく。しかし着る物とて薄手のフリースとウインドブレーカーがあるばかり。寒い。自然とテント に篭っての酒盛りとなった。ビールなんて誰も飲まない。ワイン、日本酒、ウイスキーである。寒さを忘れるためにベロンベロンになっていった。
売店の横にあるレストランで夕食。このキャンプ場で働いている、おそらく竹中直人と黒金ヒロシが親戚にいるに違いないアンちゃんと意気投合し、赤々 と燃えるストーブの横でしゃべっていたが、すでに酔っぱらっている我々はほとんど何を話したか記憶にない。次に正気に戻ったのは、温泉の中だった。脱衣場 においてあった一斗缶の灰皿の角で、しこたま弁慶の泣き所を打ったときだった。いつのまにか、我々は半島の中にある公衆浴場に来ていた。これがまた、無茶 苦茶に熱い温泉なのである。大概の人は、諦めて帰るらしい。で、ご多聞にもれず私も、その熱さに憤慨しながら、この風呂場を去ろうとしていたときに足を 打ったのだったが、しかし、私は諦めて後にするわけではなかった。実は、いい温泉があるのだ。別の場所に。
★★ここでワンポイント情報★★
和琴半島に はいくつか温泉がある。行ってまず目に留まるのが、半島入り口の露天風呂。あまりに開けた場所にあるので、これは水着を着て入るようなところ。しかし、あ の若き野田知佑氏が入っている写真はここだと思う。昔はここで十分に野趣があったのだろう。そして、もうひとつが先ほどの熱い公衆浴場。半島を反時計回り に歩いて300メートルほどのところにある建物だ。でも、そこから更に300メートル奥に入ってみよう。すると散策ルートからはずれて湖畔へと下っていく ような細い踏み固められた道がある。しばらくすると、何故かベンチがある。それが目印だ。その近くに、身の丈ほどの高さの崖を下ることにはなるが、湖畔へ と降りるポイントがある。そこに、この、波打ち際にできた温泉が待っている。(降りるときにはくれぐれも注意のこと。我々のメンバー約一名は、ここで滑 落。ちょうど下にあった岩に腰をしこたまぶつけたのだった)★
早い話が、真っ暗である。延々と木のトンネルを歩いていくことになる。ちょいとばかり心細い。しかしそれをおしても、この温泉に来る価値はある。気 分は湖に浸かる感じである。しかし、温泉なのである。汀に温泉が湧いており、その回り2メートルくらいが石で囲ってある。石の隙間から湖の水が入ってき て、ちょうど頃合の湯加減になっている。木の庇の下で、湯の中に寝そべる。島影になってここだけは風が通らない。だからはるか遠くに吹く風の音を聞くこと になる。眼前には屈斜路の黒い湖面が無のように広がり、かなたの対岸に明かりがふたつだけ見える。以上。完璧に文句はない。
温泉で暖まったものの、テントサイトに戻ると相変わらずの強風。寒い。ありったけの衣服を着込んでシュラフに潜り込む。それでも寒い。ウトウトしては、寒さで目が覚める。そんなことを繰り返しながら、朝がやってくるのを待っていた。

八月九日。天気は一向に良くならない。テントから出ると、わずか10秒で凍えてしまう。キャンプの撤収作業自体も遅々として進まない。業を煮やし て、風のない場所へとテントを引きずりながら持っていくことにする。半島の東側に行くとそこは無風状態。そこで荷造りと同時に船の組立てを行った。次々と ツアラーが出艇していく。今日が艇の筆おろし、カヌーも初漕ぎという大阪から来た若いあんちゃん二人組の二人艇も出ていった。大丈夫かな?ちょっと心配。 これじゃポカラさんが「大阪人は無謀だ」と思うのも仕方がない。彼らが湖のかなたに消えた頃、我々もやっと出艇。10:15。どんよりとした雲の下、和琴半島に別れを告げた。
島影を出てしばらくすると、いよいよ湖面の うねりが大きくなってきた。まだ追い風な分だけましではあるが、パドルを漕ぐ手を休めていると、いつのまにか艇の向きが変わって横腹から波を受けることに なる。かなり透明度は高い湖のはずだが、この天気ではただ鉛色の水がのたうっているようにしか感じられない。無念でならない。ただただ対岸の白いドーム型 の建物を目標として漕いでいく。

そのうちにその右手に釧路川への流れ出し、眺湖橋が見えてくるはずだ。

10:55眺湖橋に到着。いよいよ釧路川上流部だ。 一休憩したあと11:05、橋をくぐりぬけた。思っていたより随分狭い。でも、ウム、透き通っている。美しい川だ。聞いていたとおり倒木が多い。流れも結 構速いので、あまりボケーともしていられない。慎重には臨んだつもりだったが、我々のメンバーはすべて二人艇。だから小回りという意味では少ししんどく、 緊急回避時に間に合わなかったり、流れが速いためややこしい場所で追突することもあり、で、結構ハプニングが続出した。


11:30、美登里橋。

古い橋の残骸であろうか、橋の下には朽ちかけた木杭が突き出ている。流れ自体はさほど速くはないので、よそ見でもしていない限りは問題はない。が、つま り、よそ見をするなという川なのである。そんなこんなで、いつか降り出した雨の中を下っていくが、どの方角かは知らぬが不吉な遠雷さえ聞こえてくる。こん な湿地の上陸とてままならぬ状況の中で、雷。おいおい勘弁してくれよってば。
12:35、両サイドをテトラに挟まれた瀬を越えてすぐの左岸、護岸ブロックをよじ登ったところで昼飯。やっとこさ上陸ポイントが見つかったという 感じだ。寒さに震えながら、風の通らぬ木陰で湯を沸かす。バーナーの炎がこのうえなく恋しい。カップヌードルとワンカップの酒。これが本日のメニュー。そ れでなくても河原のカップヌードルは旨いのである。暖かければもう文句なんてない状況で、これはホントに旨い。ホントに。
13:15出発。すぐに美留和橋を通過。

この辺りの橋は、なんか同じような名前が付いていて混乱する。全部あたまに美が付いているのだから。
14:00にはこんどは美濃里橋だ。

ま、それはそれとして、メンバーの一人が待てど暮らせどやってこない。心配になって遡行する。この流れの中を遡るのは相当に骨が折れる。遅々として進まな いでいると、上流からどこかで見た覚えのあるペットボトルが、プカリプカリと流れてくる。「カナダドライ・クラブソーダ」のボトルが釧路川を流れるなんて ことは、これより後にも先にもないだろう。いよいよ本気になって遡行する。すると、前方のカーブからメンバーのK君はしずしずと現れた。ただ何故かスプ レーカバーもハッチカバーも無くしているのであった。無事で何よりではあるが、いったいそこにどんなドラマがあったのであろうか。どんな「珍沈」があった のであろうか。
札友内橋を 14:40通過。

NECのお姉さんによると、札友内橋を過ぎて15分ほどすると「土壁」がやってくるとのことだった。が、おかしいな。いっこうにそれらしき場所に行きつかない。20分が過ぎた。25分が過ぎた。ピンクのリボンが結びつけられた木が見えたら、すぐさま右岸に接岸しルートファインディングする ようにと聞いている。緊張を持続させたまま漕ぎ進む。

30分経過。前方には小高い山が見えている。目をこらすと、その斜面に何やら赤いものが並んでいた。どうもスキーリフトらしい。こんなところに、スキー場があるとは、何かしら不思議である

35分経過。いよいよ先ほどの橋が札友内橋だったのかどうか信じられなくなった頃、かすかに瀬音が聞こえてきた。そして振り仰ぐと、確かに枝にピンクのリボン。後続に「土壁」と叫ぶと右岸をめざした。ところが本日のこの辺り、どうも様子が違う。リボンを過ぎてすぐの所にいきなり左岸から倒木。右岸側にもちょっとした瀬ができており、狭い水路を通ってからの上陸となる。
メンバーが来ないのではあるが、とりあえず下見。土壁の 手前には何本もの倒木が覆いかぶさっており、噂に聞くその不気味な岸壁自体は、ここからだとよく見えない。が、流れがそこに吸い寄せられているのだけは明 らかである。しかも思っていた以上に川幅が狭い。漕ぎ出したらすぐさま、左岸に向かって乗りあげるぐらいのつもりでパドリング。すかさずエディーに避難し た方がいい。と説明したいのだが、説明する相手が、まだ来ない。しかも、なにやら上流が騒がしい。
後から来た別のパーティのものと思しき一艇が下ってきた。そして土壁の左岸エディーに上陸すると、やおら対岸の土手を薮漕ぎして遡って行くではない か。いやな予感がする。川の中を歩いて上流に戻ると、あ、やっぱり。倒木にひっかかっている人間がいる。我がメンバーであった。
それからのひとときをいったい何と言えばいいだろう。後続のパーティはアリーに乗った10名ほどの一団。ちゃんとウェットを着込んでいるし、装備も 充実しているようだ。だからといって、5本ものスローバッグが宙を飛ぶことになるとは思わなかった。あーあ。哀れ何本もの黄色いレスキューロープに蜘のよ うにからめ取られた相棒たち。ロープが多すぎて身動きがとれない、その状況は、まことに無念であったろう。
浅い場所を選びながら近づいて、カラビナ付きの細引きを投げかけ、やっと相棒の艇を確保した。が、そんなラインではダメだという。断固としてレス キューロープを使わなければならないらしい。お言葉に甘えることにした。そりゃ、細引きより、レスキューロープの方がいいに決まっている。でも、ウェット もなしに冷たい水に浸かり、流れの速さを体で捕捉し、やっとグラブループにつなげることに成功したライン。それを解くことになった時、正直言って私の中に 空虚な風が吹いた。
さて、すったもんだの末、救助は成功。アリー隊のみなさまの尽力に心より感謝申し上げた。のであった。見ると、アリーの舳先にカヌーライフ編集部の シールが貼ってある。「え、カヌーライフの方ですか?」と尋ねた。「いえ違います。記事を投稿したりはしていますが…」とのこと。さて、あの人たちはいったい何者だったのであろうか。
土壁を後にしたのは、16:00であった。体は冷えて行くばかり。早く弟子屈へ。1分でも1秒でも早く弟子屈へ。と思ってる端から、K氏が沈。寒さは一段と厳しくなっていくのであった。
体勢を立て直して少しばかり行くと、なんと川が十字路になっている。なんじゃ?これは。流れからして左か直進かなのだが、ほとほと寒さに参っていた 我々は、何となく楽そうな「八甲田山的左のルート」を選んだ。有り難いことに、これがショートカットのコースだったようだ。しばらく行くと再び右から、先 ほどの枝分かれした流れが合流。いよいよ弟子屈(=摩周。昔の駅名は弟子屈、今は摩周。ただし地名としては弟子屈のまま)に向けて、ラストスパートとなった。

摩周大橋到 着は16:45。橋の上流側にカヌーポートらしきものがあるが、それは無視して橋のすぐ下流の砂地に接岸する。右岸でも左岸でもどちらでもOK。先ほどの アリー隊が左岸に陣取ったみたいなので、我々は右岸にキャンプすることにした。でも、おかしいな。あの大阪から来たアンちゃんの二人連れは、どうしたんだ ろ。ふつう1日目はここでテントを張ることになるのだが、見あたらないなぁ。??ま、いいか。
★★ここでワンポイント情報★★
右岸には、登ってすぐの所にペンション・ビラオがある。温泉に入浴可能ということで、テントを張るが早いかすぐさま直行した。これはホントに生 きかえります。その隣は、コンビニだし、裏手には公園と清潔なトイレがあるしで、文句なしのロケーション。なんでしたら、コインランドリーで濡れたものも 乾かせます、です。
夕食は道の駅の向かいにあるイ夕リアン・レストランでとる。ちょっと軟弱ではないかとのそしりは免れないであろう。しかもこの辺りは、温泉つき、 ぴっかぴかの洋式水洗トイレまである。釧路川とはカヌーイストに過保護とも言えるぐらいに整備が進んでいる。そういえば若い女性パドラーがえらく多い。こ れぐらい親切だと女性も来やすいのだろう。★
夜、対岸では凄まじい宴会が行われていたようだが、昨日の睡眠不足もあって我々のサイトでは早々に皆が寝床についた。相変わらず風は強い。夜中に何 度も突風で起こされる。とうとう我が愛しい安テントのフライを止めているフックが破損。風に煽られるままになったフライは、朝まで爆音をたて続けたのであった。

翌十日、風は強いのは仕方がないとして、なんと待望の青空が顔を出した。しかしそれほど勢いのある青空ではない。せっせと準備をするうちにも陽が翳ったり、遠雷がしたりで、気が散って仕方がない。8:55出艇。
しかしここよりしばらく釧路川は、いわゆる三面コンクリート張りのどこにでもある哀れな日本の川に成り下がってしまう。お盆ということもあって、川 の周りには盆提灯の列。川から見える看板には釧路川祭りという文字が踊っている。ただ、川面から見ると、それらはすべて極彩色のつくりもの。現実は、この 灰色のコンクリートなのである。もちろん、この文明の壁がこの地に開発の可能性をもたらし、人々の生計を成り立たせているのは分かっている。余所からやってて、勝手にこの川のこのコンクリートが気に食わぬと言われても、困るであろう。しかし、こうして、ひとつひとつと、日本の川が無くなっていったのは紛う ことなき事実なのである。
コンクリート護岸がいよいよ終わりそうになる頃、瀬音は聞こえてくる。ただし造りものの瀬ではある。両岸がブロックが盛り土で狭められており、真ん 中に急流ができてかなり大きな波がたっている。しかも意外に突然やってくる。偵察の余裕はないから、そのまま本流ど真ん中を突っ切るべし。1メートル高の 気持ちいい水しぶきが待っている。

いわゆるこれがスロープの瀬である。これを越えると金当別川合流。そしてもう一度、同じようなスロープの瀬。2回目の方が波は大きい。ただし、波のど真ん中を漕いでいる限り大丈夫。沈も、しないであろう。

ここより釧路川中流部。時より心地の良い瀬がやってきては、退屈を紛らせてくれる。湿原を流れる川という感じではない。長閑な田園風景が広がるばかりである。
この区間で問題となるのは、南弟子屈の瀬だけである。かってのガイドブック等では、その目印として、「前方に銀色のサイロが見えてきたら」という記述が多かったと思うが、その覚え方では無理。だいたいサイロなんて見えるか見えないかぐらいの大きさ。見逃したら終わりだ。
それよりも「南弟子屈」という看板を目印にした方がいい。この看板は最近カヌーイストのために整備されたようで、それ自体はウィルダネスに欠けるの であるが、このポイントに関してはやはり有り難い。それは左岸に見えてくる。10:15であった。漕ぎごたえのある瀬が少ない川だけに、白く泡立つ瀬はな かなか惹きつけるものがある。意外に行けるんじゃないのと、思いたくなってしまう。しかし、悪いことは言いません。ここは止めておいた方がいい。
右岸をライニングした際に分かったのだが、この辺の岩盤ときたら、まさしくカチカチのザラザラ。ボトムを擦ったら必ずや穴が開くだろう。そもそも、 ここはポーテージになる箇所らしい。それがこのところの天候不順で水量が若干多くなっていたようで、我々はライニングで済んだのだった。水量が少ないとき は、さぞかし見た目にも痛そうな所になっているだろう。

11:35、磯分内の釧路川橋を越えて昼食。土手を登って辺りを見渡すと、サイロを持つ農場が見える。幸いここは長閑な北海道らしい風景が広がっていてた。
11:35、磯分内の釧路川橋を越えて昼食。土手を登って辺りを見渡すと、サイロを持つ農場が見える。幸いここは長閑な北海道らしい風景が広がっていた。


川面から見ているとあの土手の上には一体どんな世界が広がっているのだろうと思ってしまうものである。見ることのできない歯がゆさもあるのだが、逆に考えると見えない方がいいのかも知れない。だいたい幻滅することの方が多いのだから。この国の場合。

12:35に再出発。ときどき牛の水飲み場を 通り過ぎる。この辺は本来アブや蚊の多いところと聞く。放牧地帯なのであるから当然といえば当然だが、ありがたいことに虫の襲撃にはあまり遭遇しなかった。これだけ涼しければ虫もどこかでかじかんでいるはずだ。結局、バグチェイサーを一本手首に巻いておいた程度で、防虫ネットをかぶるまでもなかった。
15:00。標茶に到着す。標茶に着くと橋が三つ訪れるのだが、その三つ目がキャンプ適地となる。


左岸に立派なカヌーポートが確認できる。ここに迷わず予定調和的に接岸すればいい。悔しいけれど、これより楽な上陸方法はないだろう。
この川を下って有り難いのは、行く先々で温泉があることであろう。この地でもやはり、温泉がある。富士温泉というところ。ちょっとばかり、といっても10分ぐらいの距離ではあるが、河原から離れているので地図で確かめるか、近所の人に訪ねた方ががいい。
この日、かつての会社の同僚で今は日高の競走馬を育成している牧場につとめている女性が、わがカヌー隊の陣中見舞いにはるばる来てくれた。再会を祝 して町中の炉端で飲んだくれ、テントサイトで飲んだくれ、花火をして楽しんだ。このかわいい娘に幸多かれと願うばかり。空では流れ星がキラリと閃光を放 ち、野原にも何やらキラリと光が流れていく。よく目を凝らすと、河原をよこぎるキタキツネの網膜が光っているのだった。相変わらず気温は低いが、昨日まで に比べると幾分風がない分、全然ましである。シュラフに入ると、いつか心地の良い睡魔に包まれていった。

十一日。晴れている。やっと夏らしい天気となった。旅支度とて、こうなると楽しい。芝生の上に干したタープもテントも気持ちいいぐらい順調に乾いていく。9:00出艇へ向けて、ものごとは整然と進んでいくのであった。最後にゴミの始末をするばかりとなった。
ところがゴミ箱がなかなか見つからないのである。これは、ショックだった。ゴミを出すことに慣れきっている自分に、はたと気がついたのである。公園 に行けばゴミ箱があって当然だと思ってはいないだろうか。しかしそこに出したゴミは誰かが片づけねばならない。そんな労働力がどこにでもあると思うのは間 違いだ。ゴミはできるだけ出さない。出すのであれば、決められた場所に持参する。きわめて当たり前なことである。その場所は目抜き通りの一角にひっそりと あった。
定刻通りに出艇。ツアー隊の中では今日も一番乗りである。実は行程としては、今日が一番長い。標茶から細岡までの約32キロ。しかも流れは徐々に遅くなる。
10:00過ぎ。五十石橋をくぐる。たもとからカナディアン・カヌーのツアーが出艇しようとしていた。よ~く見るとどこかで見た顔。NECのお姉さ んであった。会釈して通りすぎたが、気がついたようなつかないような。そんなそぶりであつた。いよいよ、川はのんびりとした下流部へと突入していくのであ るが、その前にやってくるのが直線の川(11:00 通過)。およそ3キロのまっすぐな川。本来はありえない光景である。川幅自体も無理やり広げてあるため、水深はかなり浅い。また砂地気をつけないと浅い砂 場に座礁してしまって、艇を延々と流れのあるところまで曳くことになる。できるだけ両サイドを航行のこと。そこにはまだいくらかは流れがある。

★★ここでワンポイント情報★★

昼食は、湿原に入る前にとるのがお奨め。より具体的に言うなら、この直線の川に入る直前の中洲や河原でとるのがベター。まだこの辺なら石ころがあって上陸も楽。それより先は、まさしく泥濘地。次の上陸ポイントとなると、二本松橋まで行くはめになる。★
地図を見ると、この直線部分が終わるところで左から支流かクリークがあるように思われる。そこを遡れば茅沼の駅の近くまで行けるような感じだった。 よし、そこでビールを仕入れるのだ。北海道に来て、はじめて味わう喉の渇き。天気がいいと、舟の上は瞬く間に夏になる。暑い。ただこの暑さが、これほど心 地よかったことがこれまであっただろうか。夢にまで見た北海道の夏である。イメージは、もう何カ月も前からアタマの中にあった。カシュッという缶ビールの 音まで織り込み済みであった。
のに。クリークがない。それどころか、流れ込みさえない。接岸できそうな土手さえない。当然ビールもない。かくして11:30。渇きと失意のまま、我々は湿原部に突入してしまった。

川は蛇行を繰り返す。なるほどこれが本来の釧路川の流れなのである。しかし、何というか、これが湿原と言われると、どうもピンと来ないところがあ る。第一に、両岸にちゃんと大地がある。更にその上にそこそこ大きな樹木が植わっている。湿地というとガマやヨシが群生しているイメージがあったので、 ちょっと違和感がある。おそらくは、カヌーのこの視線の低さが、観光写真で見ていた視線と異なるからなのだろう。本物の湿原はもっとはるかに実在感を持っ ているのだった。
コッタロあたりで、12:00を迎える。昼食をとるにも上陸できそうなところがどこにもない。何とか接岸できそうなところには、先客がいる。といっ ても、別に羨ましい場所ではない。無理矢理土手にしがみついて休息を取っている感じである。また、どうやらこの土手の向こうに道が通っているらしく、クル マが砂利をはねあげて通り過ぎる音がする。木立の間にときどきクルマの屋根が顔をだす。

さらに漕ぐこと三十数分。変わりばえしなかった景色が、突然変化を見せる。カーブを曲がったところに、土の壁がデンと構える。そしてそこを曲がりきると、やっと待ちに待った二本松橋ということになる。唯一の上陸ポイントだ。
このところ恒例となりつつあるカップヌードルのささやかな昼飯を終えて13:30出発。いよいよ終着点へと向かう。30分後に塘路を通過。場合によっては、ここから東方向へと伸びるクリークを遡って塘路湖でキャンプせざるを得ないかと思っていたが、かなり速いペースで来ているので大丈夫。

予定通り細岡を目指す。残りはもう8キロといったところか。
ドラマはゆるやかに終劇へと近づいていた。途中、禁を犯して一度だけ上陸を試みた。湿原というところの、川ではなく陸の上がどうしても見たくなったからである。が、これが湿原というものなのかどうか、やはり実感が湧かぬままに最後はやってきた。15:40、細岡である。

細岡カヌーポートは相当な活気である。次から次へとツアー客が接岸する。我々のように標茶から来る者もあれば、塘路湖からゆっくりやって来る者もある。五十石からのツアー客もある。ということで、ポートの入れ替わりは激しい。我々の到着を迎えてくれたのは、NECのあのお姉さんだった。
「いやー大丈夫でした?寒かったでしょう。」と労いの言葉。その後、ツアーの途中に気になったことなどを話していると、何でも、我々が土壁を通過し た日に、同ポイントで、救急隊が出動するなどの大騒ぎがあったとのこと。それでやっと腑に落ちた。どうしてあの大阪から来た二人組をその後、見受けなく なったのか。本来なら、キャンプする先々で会うはずなのだ。幸い、命に別条はない事故だったらしいからいいとしても、これでますます大阪人は無謀だという 烙印を押されてしまう。それだけが、残念だ。
★★ここでワンポイント情報★★
細岡は 基本的にキャンプするには、不適地である。まず場所がない。なにやら轍の跡があって、平地になっている所があるにはあるが、そこに入っていくといわゆるバイティング・フライという奴だろう。ゴマ粒大の噛みつき虫が、一斉に群がってくる。とてもテントを張る気持ちにはならない。しかも困ったのは糞害。あっち こっちにやたらと人糞が放置されている。それもそのはず、先ずここにはトイレがない。200メートルも歩けば駅舎があるにはあるが、そこのトイレも電球が 切れたまま。デイタイムにも拘わらずあんな漆黒のトイレは見たことがない。そして、草むらには、バイティング・フライ。その結果が、これである。できれ ば、違う行程を組むことをお奨めする。★
到着したとて、この細岡には、何にもない。ビールどころか自販機さえない。ここがツアーの終着点。できれば祝杯を挙げたいところ。NECのお姉さんに、再び相談すると、ここより2.5キロ先に達古武湖オートキャンプ場があり、そこなら何でも揃っているとのこと。2.6キロ。つまり片道40分である。が、トボトボと歩き出した男3人組がいたことは言うまでもない。

何でも、この細岡のカヌーポートのすぐ横から伸びているクリークを行くと、達古武湖へと舟で行けるらしい。かつては倒木が多くて無理だと言われていたが、つい最近ここを強行突破した猛者が出たらしい。確かにこの湖はいいところである。寧ろ湿原といわれて思い浮かべるのは、この湖の様子の方ではないかと思う。次回はぜひ行ってみたいルートである。

翌朝十二日、早く起きて釧路湿原展望台の方へ行ってみた。細岡からは、3キロぐらいの道のりである。列車の時刻が合えばみっけもんであるが、早朝だ けにそううまくはいかない。歩くとなかなかのキョリであった。ただし展望台には、極楽のようにキレイなトイレがあり、自販機も売店もある(早朝は無理だと しても)。また、展望台下の広場では、気球による空からの湿原展望ができる。一回10分ぐらいのフライト!?で1500円だったと記憶する。朝も早くか ら、しっかり長蛇の列であった。ま、時間さえ許せば、行ってみる価値はあるかも知れない。ちなみに展望台からは、こんなパノラマが見られた。残念ながら、遠望は望めぬ天気のままであったが。

キャンプへの帰り道。今回持参したハーモニカをやっと吹いてみた。これまで寒くてとてもそんな気にならなかったのであるが、やっとそれなりの気候に 戻ってくれたようである。とはいえ、たいしたレパートリーがあるわけではない。「峠の家」と「リリーマルレーン」と「さくらんぼの実る頃」と「花」なんて いう英独仏日のもう無茶苦茶な取り合わせである。北海道の空に、さて、それらはどんな風に響いていたのであろうか。
キャンプを撤収したのは11:30。コロコロキャリアに乗せて、カヌーポートから細岡駅までの300メートルを荷物運び。12:05の列車を待つ。 と、あれ、12:09発とダイヤが変わっている。八月のノロッコ号はダイヤを変更しましたと書いてある。おいおい勝手に変更するんじゃない!。こっちは 後々の空港バスの乗り継ぎを考えて計画を練っているのである。さらに悪いことには、列車が遅れているではないかッ。釧路駅に着いたのは12:49。予定よ りも12分遅れたことになる。リムジンバスは13:15発。あと25分しかない。
その間、あのカヌー装備を背負って駅の階段を上り降りしたり(釧路駅の到着ホームから、改札口までは、地獄のアップダウンが待っている。)、宅急便 の手配をしたりしなければならないのである。正直言ってきわめて辛い状況といえる。また宅急便の事務所のある和商市場までは、駅から少しばかり距離があ る。ガイドブックなどには、駅前と書いてあるが、あれは駅前と言うにはちょっと離れすぎている。
★★ここでワンポイント情報★★
ここで和商市場のロケーション。乗ってきた列車の進行方向から言えば左手、つまり東側のロータリーに先ず辿り着こう。そこで右の方を見ると、長 崎屋の看板が見える。直線距離にして200メートルぐらいであろうか。その対面が、和商市場となっている。そして、肝心の宅急便事務所であるが、これは市 場内というよりも、市場を正面から見て左脇の車道を奥の方へと数十メートルほど進み、市場の建物が終わりかけた頃に現れるスロープを上った2階にある。荷 物を持っている身であれば、どんなに急いだところで、駅からは、まぁ10分はかかる。★
荷物の配送手配を終えて駅へと引き返す。バスターミナルに着くと、もうリムジンは到着していた。あたふたとチケットを買って乗り込み息を整えていると、間もなくアナウンスとともに扉が閉まった。何ともあっけない釧路とのお別れであった。
この後、空港でもたいして余裕がなく、みやげ物もそこそこ、昼食もそこそこに、ゲートへと向かい、一路家族の待つ九州へと飛び立った。飛び立つと き、機の窓から湿原を蛇行する川が見えたが、それも一瞬だった。あっと言う間に低く垂れ込めた雲の中に入り込んだのであろう。窓の外は白一面の靄に包まれ た。そして2時間後、私は福岡に降り立っていた。何もかもが夢幻のごとく思えても、それは仕方あるまい。九州は気温36度。この夏一番の暑さであった。

1998年8月8日
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