噂には聞いていたのである。でも噂は噂。過度の期待はだいたいにおいて肩すかしを食らうというのが世の習い。のはずだった。が、しかし、一体全体、まったくもって、この、あけすけな、無防備なまでの美しさは何事だろう。

DATE | 天候 | 区間 |
1997/10/10 | 晴 | 根笠-行波 |
1997/10/11 | 晴 | 行波-錦帯橋 |
水質 | ★★★++ | 噂通りの清流。これは仁淀川を上回ったかも。 |
水量 | ★★ | 浅い。腹をきわめてよく擦る。 |

なぜか10月9日は東京出張。で16:35東京発、19:39新大阪着。めしを食い、シャワーを浴びて、コーヒーを飲んで、あたふたばたばたしたの ち、夜十時神戸を出発。ひたすら西をめざす。向かうは清流の誉れ高い錦川。まさしく日本列島縦断の旅となった。ここまでしてカヌーをせねばならぬのか?自 分でも分からなくなる程のしんどさだった。
眠い眼をこすりこすり岩国に辿り着いたのは明けて10日の夜中2時半。錦帯橋と思しき闇の裏手にある広大な河原に車を乗り入れた。かなり空気は冷えこんで来ていた。ウイスキーをあおって車中で仮眠をとろうとするが、寒くてなかなか寝つかれない。 車の窓はどんどん曇っていく。しかし、シュラフはぎっしり積めたザックの一番下。取り出すのも死ぬほどに面倒なのであった。
ところでここに停っている他の車は一体何なのだろう。同じく窓が曇っているのは中に人が居るということか?又、時々砂利を踏みちらしながらやってきては、二三十分後に去っていく車。それも何だか行動が不審だ。
つまり、コレって愛のコテージ乱立状態ということではないだろうか。カヌーライフでもそのような記述があったが、今まさに目の前にすると感心するや らあきれるやら、誠に人間というのは、そんなことをするか、こんなふうに酔狂にも一人凍えるかのどっちかなのだ。どちらも、寒いのにごくろうさんである。
やがて夜は明けていた。山影に車を停めていたのでその辺りだけはまだ昨夜の寒々としたとばりの中にあったが、錦帯橋は朝日を浴びて黄金色に輝いてい た。温かい飲み物を求めて橋の近くへ歩いて行くと、カメラマニアが数人、シャッターチャンスを待っている。ああ確かに美しい,残念ながらボクのカメラは車 の中に置いてきてしまった。仕方なく記憶の中におぼろげなシャッ夕ーを切った。
橋のたもとにあるコンビニでサンドイッチとコーヒーを求めて食す。同じくすぐ横にあるバスステーションで用を足す。準備は整った。いよいよ大荷物を担いで出発。綿川清流鉄道は河西駅へと歩きはじめた。距離は1キロ強といったところだろう。
30分程かかって駅に到着。路線は高架を走っており、駅舎へは地獄の急階段を登らねばならなかった。この線は岩徳線と清流線の2路線が乗り入れてい るので、ちょっとばかり注意が必る。清流線の時刻表は隅っこの方にコピー用紙で貼ってあるだけなのだ。9:24発の列車に乗れば10:00に根笠にたどり 着くはずだ。
この鉄道は単線のワンマンカーである。錦川を右手に見ながら上流へと向かう。清流鉄道と名付けたからには、その川は清流でなくてはならない。が、心 配無用。誰もがこのネーミングに納得するであろう。おそらくは浅く川底が砂地になっているようなところでは、驚くほどの透明度。アクアマリンという宝石を ご存じだろうか。まさにあの色なのである。列車は時折りトンネルを通過するがその際耳をつんざくような軋みをたてる。そして何度目かの軋みから抜け出した 時、目的地根笠へと到着した。

コスモスの咲きみだれる無人駅で ある。なだらかな坂をおりて行くとバス停があり、その横には場違いなほどに美しいトイレがある。またちょっとしたものなら買い足せる商店もすぐ傍にある。 いっしょに降りたハイカーの一団がたむろしているところを見ると、ここはハイキングルートの重要な中継点なのかも知れない。道をはさんでバス停の反対側に 川原へと下っていける小径がある。我がルートはこちら。一人川原へと降りたった。
快晴。舟を組み立てていると汗が滴り落ちてくる。そのとき後ろから声がした。「お一人ですか?」振り返ると、少なくともボクよりは年配の男性二人。 ポリ艇で下りに来たパドラーだった。かくて一緒に旅することに。というか、その人たちはもう何度も錦を下っている常連さん。つまり手とり足とりエスコート していただいて、まさしく殿様ツアーになってしまった。渡辺さん、ありがとうございました。)

でもなんて、こんなに綺麗なんだろう。透明度はいままで下ったどの川よりも上を行っている。やがて心地よい瀬がやってきて、極楽極楽。それに運良くカワセミまで見かけてしまうおまけつき。一人ででも無理して来た甲斐がありました。

★★ここでワンポイント情報★★

市販のツーリングガイドの場合、錦川の出発点はだいたい南桑になるのだが、 どうせならもうひと駅登って根笠から出艇したいものである。 というのもこの根笠と南桑の間に心地よい瀬がいくつか存在するからだ。★
南桑から出艇するときは、橋を渡って対岸から河原へと舟を落とすことになる。そのあたりには、店も軒を連ねているから、便利は便利であろう。でも、先も言ったように、もうひとつ上から下って、物資の補給をここでする方がよいと思われる。
ところで、秋もたけなわとなると、川面では、シーズンは落ち鮎漁の時期になっているのだった。従って、いたる所にあるわあるわ、もうそっこらじゅう仕掛けだらけ。いわゆるやなヤナという奴だ。ヤナの箇所は事前にインターネットから情報を得ていたのだが、当日には更に強力に、また厳重になって、我が艇のいくえを阻むのであった。

場所によっては舟のルートを確保してくれているんだが、そうとばかりはいかなくて、すべてのツーリングバックを艇から引きずり出して、ポーテージの 憂き目に会うこともある。流れの中に航路と思しき背の高い枝木が刺してあっても、これが、あにはからんや塞がれていたりするので、安易な突入は絶対避ける べきだ。といって、偵察のために、ヤナの近くをフェリーグライドしていると、たちまち短気な漁師が罵詈雑言を浴びせかけてくる。ちーとばかり、錦川の印象 を悪くしたのも事実だ。
が、その漁師の話を聞くと、それもむべなるかな。心ないカヌーイストに彼らは怒っているのである。彼曰く、シカケのことを気にせず平気で中央突破を 図って、ヤナを壊していく輩がいるらしいのである。そのあおりを食ってボクは、さんざんに嫌味をふっかけられたという訳だ。とはいえ、あまりにもその人の 怒りが、ボクに対しては理不尽なので、ボクは不愉快だった。それは、どこかの国のばかな一部の軍部のしかけた戦争をもって、その国のすべての人を弾劾する が如き愚かな見識と同じである。前を向いて物を述べることのない、デッドエンドな人たち。この川の清らかさを一緒になって言祝げない人たちが、そこにいた。
いくつかの瀬を越え、河原でのささやかな昼食と、川底に錦鯉になりそこねた大きな鯉の魚影を見たのちに、別れの時はやってきた。渡辺さん、ありがとう。さようなら。おそらく、そこが道の駅風キャンプ場と 言われる所なのだろう。たくさんのキャンパーがテントを張ってバーベキューなどをしている河原で、彼等と別れることになった。岸辺に立つ渡辺さんがバウを 強く押してくださると、我が艇は、川面へとゆっくりとくり出されていった。いつもの、ひとり旅へと、川の流れは誘うのであった。時は、二時を少し回ってい た。急ごうか。予定のキャンプサイトまではまだ随分あるようだ。

青い印象的な吊り橋を過ぎると、川は右へとくねっていった。その先に重苦しい気配を漂わした岩壁が見えてくる。

青い印象的な吊り橋を過ぎると、川は右へとくねっていった。その先に重苦しい気配を漂わした岩壁が見えてくる。
そこに穿たれた洞穴。嘘か真か知らぬが、ここでパドラーが命をおとしているらしい。早々に立ち去る。

やがて、広大な石の河原が見えてきた。堤防の向こうには、ゲートボール場と思しきコート。あれが今日のキャンプ地だ。 四時半過ぎ上陸。バックヤードに人工物が見えるというのは嫌だが、夕闇にまぎれてしまえば、それもまた同じこと。それよりも、薪集め。広大な河原ゆえ、時 間はかかったものの、それなりの量の流木が集められた。まあ、酔いがまわるくらいまでは、火にあたれそうだ。対岸には、江木商店という店屋。まず普通に必 要なものは何でも揃うぐらいの品ぞろえ。買い出しは、ここで充分だろう。


10月10日は体育の日。つまり特異日。ということで、もちろん快晴ということになる。昨夜のころころと変わる風向きと風の強さには閉口したが、翌日のこの天気のためだと思えば致し方ない。まことに、いい秋晴れだ。
この川で、特に気をつける場所といったら、ほんの一箇所か二箇所しかない。二箇所めは人によって示す場所が変わるかも知れないが、最初の一箇所というとここになるだろう。行波(ゆかば)の先、最初にやってくる瀬がそれ。何本かの竹が流れの中に倒れこんでいる倒木の瀬だ。何とか通れそうにも思うのだがファルトの場合、止めておいた方が無難だろう。それをおしてまで突入する程の瀬でもないし。

続いてすぐにやってくる瀬の右岸には消波ブロック。ちょっと引き寄せられそうな流れにも見えるけど、まずしっかり漕いでいれば大丈夫だろう。

南河内の沈下橋の手前あたりは、のどかな川相となる。どこかを思い起すようなおおらかさである。岸に艇を寄せて、ぐるっと見渡してみた。そういえば、四万十川のどこかに似ているような気がする。ここで昼食をとる。でも、河原で食べるカップヌードルというのは、どうしてこんなに美味いんだろう。ねえ。

いくつかのヤナをこえて、やっとのこと最後のポーテージを終えた。そのヤナは新幹線の 下にあった。荷物を移し替えたときには、ほとほと腰にきていたのだった。が、しかしである。安心するのはまだ早い。本当の最後のヤナは、この下流1キロ程 のところにあったのだった。機能しているのかしていないのかよく分からないヤナだった。ただ、このヤナは、流れのまん中にちゃんと目印を立ててくれてい た。だから、掟どおり、そこを通ればよい。ところが、ボクのすぐ後ろをついてきていた一団は、それを無視して違うルートへと突っ込んで行ったのだ。ボクの 耳には、鈍いブスッという布を裂く音が聞こえてきた。合掌である。あの川漁師の言っていたことも、分かるような気がするなぁ。
大護岸地帯(岸にはあまり近寄らない方がいい。岩で艇の底をするぞ)を過ぎて、岩国城址をぐるりとまわり込むと、いよいよ終点は間近である。が、ここからは、渡辺さん曰く、5級のトロ場。しかも、午後の向い風がやってきた。その波光の先にあの橋は見えてきた。

錦城橋のその向こう。錦帯橋である。

錦帯橋の下は、小さな堰がつくられており、通り過ぎるにはライニングして魚道を行くことになる。秋の行楽シーズンともなると観光客でいっぱいで、岸辺からは、ボク らを見ていったいこの人たちは何者なのかと冷たい視線が飛んでくる。しかし、こういうのは気の持ちようである。彼等は、きっと羨ましがっているのだと思え ばそう思えなくもない。そう、彼等はみんな艇さえあれば川を下ってみたいと思っているにちがいない。ボクは優越感に浸りながら、ささやかに接岸、上陸したのだった。

★★ここでワンポイント情報★★
錦帯橋の渡り口の前のちょっといびつな交差点を、右奥の方へ、つまり、川沿いの道より一本中に入った道へ行くと、佐伯屋食堂という食事処があ る。少しばかり店のつくりは古くなっているのであるが、話のついでに立ち寄るといい。鮎定食1400円也。もちろん天然もの。卵を抱いたきわめて美味な鮎 だった。あのヤナで捕ったのかと思うと、複雑な思いではあったが…。★

1997年10月10日
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